ケン幸田の世事・雑学閑談(千思万考)
第百十四話:「桜の花見と御柱祭」
2020/04/01
花見と言えば桜ですが、「桜前線」は南から北へ、低地から高地へと順次移行して行く
我が国恒例の社会行事となって居ります。
古代から中世にかけては、花の散り際が良いことから、「もののあはれ」を好んだ
貴族や武士に賛美されて来ましたが、桜を「田の神の座」として、その咲き方によって
稲の豊凶を占う農民たちの古くからの信仰とが合流して行き、やがて江戸時代に
入って優雅で豪奢な花見の宴を楽しむ遊楽行事に発展したようです。
桜は日本を代表する「花の王」とされ、花びらが明治海軍の、花弁のガクが
陸軍の徽章となって各地に桜の名所がつくられました。
なお、枝垂れ桜は神霊や霊魂を迎えて祀るのに相応しいとして、
丘の上や山腹とか寺に植えられたので、有力豪族の墓碑代わりだったり、
菩提寺の跡だったりして残ったようです。
 
草枕まことの花見しても来よ 松尾芭蕉
春慶の膳すえわたす花見かな 森川許六
たらちねの花見の留守や時計見る 正岡子規
山鳥やさくらをしぼる夜の雨 上島鬼貫
木の下に襟こそばゆき桜かな 服部嵐雪
山は朝日薄花桜紅鷺の羽 山口素堂

四月上旬から五月上旬にかけて、諏訪大社の「御柱祭」は
「天下の三大奇祭」と言われ、伝統ある大祭として全国的に知られています。
氏子たち総勢二十万人が、神山から十トンもある樅の大木を伐りだす「山だし」の行事から
始まり、勇壮な「木落とし」の難行を経て、「川渡し」「里曳き」「冠落とし」「建御柱」に至るまで、
古式豊かに何日もかけて続くもので、五月四日に上社(本宮と前宮)の四隅に
合計八本を建て、五月五日に下宮(春宮と秋宮)に、また八本を建てる行事です。
戦争や天変地異が有ろうとも、七年に一度、世の中の動静がどうであっても、
千年以上も前から続けて来たもので、祭事として訪問客も共に楽しむだけでなく、
氏子一同が一致団結して奉仕する行為でもあり、この期間の諏訪地域は
終日木遣り歌や掛け声で埋めつくされます。
 
御柱落すあめつち息をとめ 高木良多
命あるごとく落ち来る御柱 森田君子
御ン柱曳くも建つるも木遣もて 中島知恵子
 
余談ですが、諏訪大社の創建はきわめて古く、飛鳥時代に始まると言われ、
一説に社の木造仕様や樅の大木を神木とする様式などは、
同じくレバノン杉を使った古代ユダヤ神社と似ており、
ユダヤ人渡来帰化説が裏付けされると説く史家が増えています。
 
 
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