ケン幸田の世事・雑学閑談(千思万考)
第壱百三話: 「天下祭りと言われた山王祭」
2019/06/03
山王祭は隔年六月十五日に行われますが、徳川将軍家の産土神として信仰されて来た日枝神社の祭礼で、
江戸三大祭りの筆頭として数えられます。
山王社は家康の江戸入場より百年以上も前に、太田道灌が武蔵国仙波村(現在の埼玉県川越市)の
無量寺の日枝権現を勧請して江戸城内に祀ってあったとされております。
三代将軍家光が、江戸城内で生まれたことから、将軍家の産土神となり、徳川家との関係が
益々深くなっていったようです。
その後、元山王へ移転されたが、明暦の大火で燃えたため、現在地の千代田区永田町に移築されました。
 
この祭りは別格扱いされ、将軍が上覧したので、神輿や山車の行列が江戸城内へ入ることが許され、
「天下祭り」とか「御用祭り」とも称された訳です。
将軍お墨付きのお祭りだけに、将軍らと一緒に、大奥や江戸城敷地内に詰めている多くの者が
この祭りを見て楽しんだようです。
庶民の誰もが大手を振って楽しめた祭りだったのは其角の俳句にも読み取れます。
 
我らまで天下まつりや出車 宝井其角
 
山王祭の行列図絵(享保時代)には、なぜか作り物の象が描かれており、四本の脚に人が
一人づつ頭から入って支えながら行進したようです。
日枝神社の祭神とは無関係の象が出し物に使われ、今で言えば“人寄せパンダ“の役目を
背負って登場した訳は、当時ベトナムから将軍家に献上された本物の象(将軍吉宗が上覧後は
、浜御殿で飼育されました)に由来することだったのです。
この象には秘話があり、長崎港で船から降ろされた後は、歩いて江戸へ向かったのですが、
途中京都で中御門天皇に拝謁したそうです。
尤も、天皇に拝謁するには一定の位がないと不可能だったため、この象は”従四位“に叙せられたと
いう事で、この偉くなった象様が、京から江戸まで野を超え、山を越え川を渡り、
随行のベトナム人らと共に道中を続けたのですが、
見物の人々が最敬礼したとの逸話が残されています。
 
青簾山王祭近づきぬ 富安風声
 
江戸三大祭りとは、ともに天下祭りとして将軍の応援を受け盛大化した山王祭、
神田明神祭(この両祭は例大祭を毎年交替する)と町民の祭りとされる深川八幡祭があり
「神輿深川、山車神田、だだっ広いが山王様」と言われたように、山王祭の氏子域は広大で、
日枝神社の氏子町は72もあり、例大祭の15日を中心に、6月7日から17日まで、
神幸祭、夏越しの祓、稚児祭りなどに連合渡御が行われます。
 
毛抜鮨神田祭に来てさがす 水原秋櫻子
闇美し泉美し夏祓 高野素十
 
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