ケン幸田の世事・雑学閑談(千思万考)
第壱百二話:「卯の花・灌仏会・虚子忌」
2019/04/01
陰暦四月は、日本人に古く奈良時代から愛され、万葉集にも詠まれて来た卯の花(ウツギの花)が、
この時期に盛りになるため「卯の花月」と呼ばれたことから、「卯月」の異名がつけられたと言われます。
また、他にもこの時期に田植えをすることから、「植月」と呼ばれ、それが卯月に転じたという説も
あるようです。

梅恋ひて卯の花拝む涙かな 松尾芭蕉
卯の花も母なき宿ぞすさまじき 松尾芭蕉
卯の花の絶え間たたかん闇の門 向井去来
卯の花のこぼるる蕗の広葉かな 与謝蕪村
 
お釈迦様の誕生日とされる四月八日に寺院で行われる法会は、灌仏会、降誕会、仏生会などと言われ、
もともと卯の花を多く用いて、子供も参加する祭りとして親しまれて来たので「花祭り」とも
呼ばれております。
釈迦牟尼の誕生物語は、仏母摩耶夫人が無憂樹の枝に手を伸ばした時、右脇から釈迦が生まれ出て、
七歩歩いて天地を指さし「天上天下唯我独尊」と唱えた際、龍王が甘露の雨を降らせて産湯とし、
地下より蓮の花が足を支えたという伝説があり、降誕会(仏生会)の行事はそれに因んだもので、
七世紀初め推古の世に始まった旨、日本書紀に記録されています。平安時代以後に宮中行事となり、
室町時代以降は広く全国へと広まったようです。参拝者は、境内に花御堂という卯の花で飾った
小堂を設え、水盤に安置された釈迦像の頭に甘茶(五香水)を注いで供養する仏事です。

灌仏のお指の先や暮の月 小林一茶
灌仏の日に生まれあふ鹿の子かな 松尾芭蕉
誕生の時こそ見たれ釈迦の指 立羽不角
花御堂月も上らせ給ひけり 小林一茶
 
折しも俳壇の巨匠・高浜虚子が、昭和三十四年、この四月八日の灌仏会の日に八十五才で没し、
鎌倉の寿福寺にお墓があります。傍題の「椿寿忌」は戒名から、「惜春忌」は別号から称されたそうです。
虚子は伊予松山に生を受け、正岡子規に師事、若手として大活躍されながら子規没後、
一時小説に没頭したこともありましたが、やがて俳壇へと復帰、「守旧派」を標榜して、
同郷で子規同門のよしみでもあった川東碧梧桐の新傾向俳句に対抗し、「ホトトギス」を継承・発展させ、
表現法として「客観写生」、理念として「花鳥諷詠」を唱道されました。
大正・昭和と数多の新人を育成、山口誓子、水原秋櫻子、富安風声、高野素十、飯田蛇笏、山口青邨、
中村草田男、中村汀女、星野立子(虚子の次女)、阿波野青畝、川端茅舎、他多士済々、
近現代を代表する俳人を多く世に出され、社会的にも文化勲章を受章されるなど、
芸術院会員として、文字通り「俳壇の大御所」そのものでした。

ホトトギス一千号の虚子忌嗚呼 山口青邨
うらうらと今日美しき虚子忌かな 星野立子
 
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