![](https://botanical.jp/upfile/images/2005-3-5-31.jpg) 開業当初のイルカのジャンプ.今のジャンプはバラバラになりました。
![](https://botanical.jp/images/2004_4_17027shukusho(1).jpg) 鰯(イワシ)、鯵(アジ)など寿命の短い回遊魚を根気よく補充している水槽.見ごたえあります.
![](https://botanical.jp/images/indexrogo.jpg)
1. 新江の島水族館が開業 2. 湘南文化とは外来文化:戦前湘南文化と戦後湘南文化 湘南地方とは:湘南文化とは 第二次世界大戦前はイギリス(戦前湘南文化) 3. 1950年代の江ノ島水族館と江ノ島植物園 4. サムエル・コッキング苑と改称された江ノ島植物園 5. 江ノ島水族館と新江の島水族館 6. 身近な美味しい魚たち
1. 新江の島水族館が開業 江ノ島水族館の新装が完成し新江の島水族館と命名され、2004年4月16日に開業しました。 旧日活による私企業経営から神奈川県がオリックスに経営委託する形に変えて 旧水族館のマリンランド(パフォーマンス部門)に立地を集約させています。 小田急片瀬江の島駅から徒歩数分。海浜立地の一等地です。 国有地を使用して開業するにしては入場料金が高い(2000円/人)のが気になりますが これは今後の課題として再検討すべきでしょう。 いずれにせよ戦後まもなく開業し、戦後湘南文化の象徴の一つでもあった水族館が絶えることなく、 大発展といえる規模に成長したことは、地元にとっては大きな喜びです。
2. 湘南文化とは外来文化:戦前湘南文化と戦後湘南文化 ![](https://botanical.jp/upfile/images/2005-3-5-23.jpg) 江の島を中心に左右の相模湾沿岸地に拡がる湘南地方 展望台最上階から観た片瀬川、洲鼻(すばな)
湘南地方とは:湘南文化とは 湘南地方とは何処の市町村を指すのかという議論があります。 定義しようともその地域は飛び地になり結論は出せません。 湘南とは地域を指す言葉と言うより、独特な生活文化の所在を指しているからです。 その個性的な文化があったところは湘南なのです. 湘南文化とは、外来文化といえます。一般的に多くの人がイメージする湘南文化は 土地に住み着いていた人々でなく、別荘族を中心としたいわゆる舶来(はくらい)生活文化です。 第二次世界大戦前はイギリス(戦前湘南文化)、 戦後はカジュアルな米国西海岸の文化(戦後湘南文化)が持ち込まれました。 大正時代、昭和の初期は日本の政治経済が、明治維新功労者達たちの子弟によって指導されていました。 彼らとそのブレーン達は海外に雄飛し、欧米文化を日本に紹介する役割を果たしていましたが、 大磯、鵠沼、鎌倉などの別荘を拠点に、この外来イギリス文化が湘南に持ち込まれました。 皇族、総理大臣など湘南に拠点を持つ重要人物と関係の深い政財界人、文化人が自然と集まっていたようです。 戦後は横須賀、座間、厚木などの駐留軍人が、質の異なる米国文化を湘南海岸に持ち込みましたが、 世代は戦前からの文化人、知識人の子弟たちに移っていました。 彼らが成長期にあった50年代、60年に、独特の戦後湘南文化が築かれました。 戦前文化の良さを継承しながらも、自由を満喫できるアメリカ西海岸文化が受け入れられたわけです。 消滅した湘南文化:急増した流入人口と個性の消失 大戦から50年以上を過ぎた現在、急増する人口に対応し湘南の別荘住宅地は切り刻まれ、 文化を支えていた多くの人たちも消え去りました。 世界的な文化均質化の波も湘南を例外とはせず、世代交代が再度進むと共に、 湘南独特の文化は消滅したといえます。
3. 1950年代の江ノ島水族館と江ノ島植物園 自然科学への知識欲と好奇心が旺盛なのは湘南人の特徴。 その湘南人が戦後湘南の知的な外来文化の象徴として大事にしていたのが、 1950年(昭和24年)に開場した藤沢市営江ノ島植物園と1954年(昭和29)に開館した江ノ島水族館。 いずれも貧しい時代の開業ですから、いまからみれば簡素な設備でしたが湘南人には 満足すべきオアシスでした。 4. サムエル・コッキング苑と改称された江ノ島植物園 江ノ島植物園は明治時代初頭(1882年)に作られた、貿易商コッキングの別荘跡地ですが、 一帯には氏が持ち込んだ珍しい亜熱帯植物が豊富に自生していました。 旅行することが難儀であった戦後の貧しい時代に、未知な亜熱帯地域を探究させてくれる施設としての存在感がありました。 時が経て、展望灯台(大戦中のパラシュート降下練習台を改造)の老朽化とともに、 植物園は荒れるに任せるといった状態でした。 2003年4月29日に小田急電鉄が主体となって「サムエル・コッキング苑」は 新展望灯台とともに新装開場しました。 新しい公園は、デザイン的にも美しく、綺麗に整備され、展望台としての機能も充分満足すべきものです。 島の入り口から、頂上の公園までのエスカレーターも改装され、老人などにもアクセスが容易。 公園入場料200円は他施設に較べれば大変安く、展望台入場料込みでも500円です。 残念ながら、現在の公園は多種の椿類とコッキングの温室跡が目玉になっているくらいで、 植物の学術研究的な解説や展示はほとんどなく、ただの美しい公園となってしまいました。 ![](https://botanical.jp/upfile/images/2005-3-5-20.jpg)
![](https://botanical.jp/upfile/images/2005-3-5-25.jpg) カナリアヤシ 5. 江ノ島水族館と新江の島水族館
![](https://botanical.jp/upfile/images/2005-3-5-02.jpg)
![](https://botanical.jp/upfile/images/2005-3-5-012.jpg) ![](https://botanical.jp/upfile/images/2005-3-5-016.jpg) 写真上は旧水族館時代からのミナミゾウアザラシ.老齢と2000キロを超える肥満?のためか 開業後数年で死亡.これだけで観客を魅了できる唯一の目玉だっただけに惜しい損失でした。 江ノ島水族館は歴史的にも、鑑賞というより、研究にウェイトをおいていました。 当時の水産学の権威、東大水産学科の雨宮育作名誉教授(あめみや いくさく、 1889~1984)(江ノ島水族館初代館長)は海外事情に詳しく、 乏しい水産研究の費用を観光地での水族館併設によりまかなうことを考えていました。 これが、この地に新しい社会貢献事業を考えていた日活(旧日本活動映画)の 堀久作社長(1900~1974)のコンセプトと合致したといわれます。 日活は戦後湘南文化を支えた芸能人たちの中でも、 石原裕次郎、赤木圭一郎、笹森礼子等、湘南を愛した人たちが最も多かった映画会社でした。
![](https://botanical.jp/upfile/images/2005-3-5-17.jpg) 新江の島水族館の目玉は昭和天皇の研究展示コーナー
![](https://botanical.jp/upfile/images/2005-3-5-16.jpg) 深海研究用の潜水艇と深海生物コーナー
クラゲは旧水族館時代からの目玉.どこの水族館にも展示されていますからゾウアザラシのように 超目玉とは成り得ませんが日本一を自称する山形県鶴岡市のクラゲ展示に較べれば種類数こそ 劣るものの「魅せ方」は格段に優ります この水族館は日活丸という水産物採集船を保有して、新しい水産情報を収集していましたが、 情報が少なかった戦後時代には、近隣の湘南人の知的探究心を満足させるオアシスでもあり、 葉山の御用邸に来られる昭和天皇など皇族方の愛用された水族館でもありました
![](https://botanical.jp/upfile/images/2005-3-5-18.jpg) クラゲ展示コーナーのタコクラゲ
![](https://botanical.jp/upfile/images/2005-3-5-11.jpg) 毒性の強いアカクラゲ
![](https://botanical.jp/upfile/images/2005-3-5-09.jpg) シーネットル写真では表現できていませんが 大きな見ごたえのあるクラゲです。
![](https://botanical.jp/upfile/images/2005-3-5-10.jpg) 上下を反転して泳ぐサカサクラゲ
![](https://botanical.jp/upfile/images/2005-3-5-13.jpg) タコクラゲ.
6. 身近な美味しい魚たち
![](https://botanical.jp/upfile/images/2005-3-5-30.jpg) ![](https://botanical.jp/upfile/images/2005-3-5-12.JPG) ![](https://botanical.jp/upfile/images/2005-3-5-32.jpg) ![](https://botanical.jp/upfile/images/2005-3-5-14.jpg) 写真上段左シロギス.右イズカサゴ(伊豆笠子).下段左マアシ(真鯵).右アカアマダイ 希少種は多くありませんが水槽寿命の短い、身近な美味しい魚を見せているので楽しめます。 どんな珍しい魚類でも食材ではない、小さく、見栄えのしない魚は人気がありません。 最近になり毒性が話題となった「ソウシハギ」. 近年の水族館は悲しくなる状態でした。朽ちた施設。アジアの海鮮料理屋の水槽群のほうが、 まだましではないかと思うような、汚れた小さな水槽。子供の学芸祭のようなショーや展示解説。 デザイン不在の水槽や舞台のディスプレイ、クリスマス・デコレーションなどなど、 江ノ島水族館の愛好者にとっては、消え行く湘南文化の象徴のような、情けなさだったでしょう。 ![](https://botanical.jp/upfile/images/2005-3-5-03.JPG) わずかな救いは、学術的な好奇心を満たすべく、数十センチの真だこが、 一センチ位の非常に小さな穴をくぐれるという実芸をやって見せるショーがあったことです。 戦後湘南文化の数少ない継承者である水族館事業は、1974年に久作社長が亡くなる頃には、 子息の堀雅彦氏夫人、由紀子氏に引き継がれていました。 以後の長い苦闘の時期を経て、オリックス(株)、藤沢市などの支援を得て、 拡大発展することとなったのは、湘南の戦後史とともに生きてきた人々にとっては新たな喜びでしょう。 新館長には久作氏の孫にあたる由紀子氏の子息、堀一久が就任しました。 伝統であった新しい水産資源情報の発信地が再興されることを期待したいものです。 ゴマフエダイ![](https://botanical.jp/upfile/images/2005-3-5-07(1).jpg) ![](https://botanical.jp/upfile/images/2005-3-5-28.jpg) ![](https://botanical.jp/images/2008_2_18016shukusho.jpg) ![](https://botanical.jp/images/2005-3-5-22.jpg) 元旦の江の島.初詣(はつもうで)、初日の出に多数の人が訪れる。![](https://botanical.jp/upfile/images/2005-3-5-27.jpg) ![](https://botanical.jp/upfile/images/2005-3-5-15.jpg) ゴンドウクジラが名物のパフォーマンス部門はこの水族館の最弱点. 初めての観光客は観ますが、リピーターの関心は薄いようです。 当初はクジラやイルカの跳躍だけはありましたが、年々寂れる一方. 担当者のおしゃべりとわずかなイルカのバラバラなジャンプで終りです。 イルカもアシカも芸らしい芸はありません。水族館のパフォーマンスとしては 油壺、八景島、三津のはるか後塵. ![](https://botanical.jp/upfile/images/2005-3-5-29.jpg) スーブニールショップは他施設に較べ見劣りしません. (ただし、食品は添加物の多いクッキーが主体) (この記事は2004年に新江の島水族館が開業した機会に書かれたものです。 写真等を入れ替えて改定しました) (しらす・さぶろう) |