'50es湘南スタイル「湘南のルーツ・逗子」



第二回・・・「湘南第三世代」
第一回・・・「湘南第一世代」


第一回「湘南第一世代」: 豊島邦太さん
良家の若者たちが模倣した、アメリカン&ネイビーカルチャー

湘南的スタイルのルーツ、つまり「アロハとサングラス」「マリーンスポーツ」といった太陽族的風俗やスタイルを育んだそれ以前の湘南、「湘南第一世代」はどんな様子だったのだろうか。

当時の湘南の中心地はヨットなどのマリーナがある逗子・葉山であり、このアメリカ的ビーチ文化はすでに逗子・葉山の"日常"だったのである。
当時の逗葉地域を良く知る豊島邦太さんは、そんな湘南第一世代のカリスマ的存在。
ヨットレースで東京オリンピック候補にもなった豊島さんは、当時の様子をこう語る。


609272豊島邦太さん

「戦後すぐに進駐軍がきて、別荘や土地だけでなく、日本人が所有する車や鐙摺港にあった僕らのヨットも接収されました。
当時は鐙摺港の一部がヨットハーバーになっていました。
有名な渚ホテルも接収されて、アメリカ兵達のレジャー施設になったのです。
でも、ぼくら若者達は彼らと日常的に、普通に交流していましたよ。渚ホテルでは、アメリカ人との対抗試合なんかも計画したり、ジャズやハワイアンバンドが入ってパーティーをしたりしていましたね。
兵隊たちのホームパーティにもよく招待されました。」

まさに、映画「狂った果実」の映像そのものの日常風景がすでに逗子にあったわけだ。戦中・終戦直後の日本といえば、閉鎖的で暗いイメージだが、すでにアメリカナイズされており開放的だった逗子・葉山はまるで別の文化圏のようだった。

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豊島さん自作の”Sailing Pictures1950”と題したアルバムには、太陽族やIVYファッションの全国的な流行先取で、サングラス、デッキシューズ、スクールセーター、アロハ、リーバイスのジーンズなどをかっこよく着こなす豊島さんとヨット仲間が写っている。豊島さんが写真で着ているスクールセーターは片方に袖にのみ二本のラインが入った、洒落たものだ。609272
609272 ヨット・IVYファッション

「スクールセーターの二本線は、アメリカの兵隊さんが着ていたセーターのデザインを真似して母に頼んでつけてもらったものです。日本人なら両腕に付けそうなものを、方袖だけにつけていたのが粋な感じでね。
当時は物不足でしたが、例えばアロハシャツなら古着をリサイクルして作ることも簡単でしたし。」
戦後流行したアメリカンスタイル(たっぷり生地を使った裾広がりのロングフレアスカート)も、女性達は手持ちの和服を解体し、つなぎ合わせて作っていた。豊島さんはじめ当時の湘南第一世代もアメリカ人たちのファッションを、あるものを使ってうまく模倣することから始めたのだ。


「太陽族」が憧れたであろう湘南第一世代の若者達は、米軍関係者との交流を通して様々なアメリカ製品を手に入れていた。
豊島さんの自慢は、厚木基地に降り立った時マッカーサー司令官も掛けていたレーバンのサングラス。
豊島さん所有のレーバンは、沖縄戦を生き延びた米軍兵から譲ってもらった大切な思い出の品だ。
戦闘中に容易にはずれないように耳に固定するため、フレームのイヤーパッド(耳当ての部分)が半円カーブを描いている。
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また、当時は珍しいジージャンやトップサイダーのデッキシューズなどのファッションだけでなく、ジョニーウォーカー、Lucky Strikeといった生活雑貨までもアメリカ一色。
これらは全て米軍関係者である友人に譲ってもらったり、買ってもらったりしていたそうだ。


そして、兵隊達が本国に引き上げる時には、今度は日本人が彼らの置いていく車を買い取った。
豊島さんがご機嫌で一緒に写っているのは、プリムス・クーペ。
日本での海外旅行自由化が1964年であり、国内自動車生産が始まったのが1950年位だったことを思い起こせば、こんなアメリカ的生活スタイルやファッションがどれほど当時の若者に眩しく映ったか想像に難くない。
ヨットを自由に操縦し、外人と交流し、おしゃれで開放的な先輩湘南ボーイを見ながら育った石原兄弟が、後に映像を通してこの湘南スタイルを全国に発信したのはごく自然なことだったのかもしれない。
DSCN0070クーペと豊島さん

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豊島さんは、石原裕次郎や「鍵屋の謙ちゃん」こと山本淳正さん達「太陽族」グループと時々ヨットレースをしていたそうだ。
当時ヨットには不慣れだった裕次郎に操縦を教えたのも豊島さんである。
しかし豊島さんによると「僕らは鐙摺、あちらは森戸で遊ぶ場所も違った。
遊びのスタイルも、僕らはレース専門で、女の子と遊ぶなんてことは目的じゃなかった。」とのことで、交流はあったものの、お互い距離感もあったようだ。

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その後「太陽族」第二世代を経た湘南では、東京オリンピック開催を契機に江ノ島ヨットハーバーが完成し、アメリカ化・大衆化と開発が進んでいく。
加山雄三がデビューし、サーフィンが茅ヶ崎で紹介され、ブレッド&バターやユーミンが湘南を歌い、湘南的スタイルの中心は徐々に西へ進んでいくことになる。


(次回に続く)

取材協力
豊島邦太(とよしま くにた) 1921年生まれ。
東京大空襲で実家が焼けた後、葉山に移住。
1964年東京オリンピックのヨットレース代表選手候補。
後、マリーンショップ「クウォーターデッキ」オーナー。
現在は鎌倉市に在住。


参考文献
  • アクロス編集室編『STREET FASHION 1945-1995 ストリートファッション1945-1995若者スタイルの50年史』パルコ出版 1995年
  • 「SHONAN AGAIN 湘南1950-1959、アイビー以前」MEN'S CLUB創刊30周年記念特集号(1984年6月) 婦人画報社
  • 湘南スタイル・マガジン編集部編 『湘南の暮らしと家 ビーチサイドスタイル』2002年
  • 「太陽族以前の湘南」『湘南スタイル』第4号 (2000年6月) えい出版社
  • 「湘南ビーチカルチャーの変遷」『湘南スタイル』第18号(2004年12月)えい出版社

(文:田村篤子)



11:21, Wednesday, Sep 28, 2005 ¦ 固定リンク

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