石原君に初めて会った国立駅頭での記憶は今も鮮明である。 当時、私は劇研(一橋大:演劇研究部)仲間である親友の急病で後事を託され、 彼が運営に当たっていた学校食堂に毎日通勤(?)していた。 その日の午前早く、いつものように駅舎を出て右に踏出した私の前に、 真向こうからやってきた二人の学生が立った。 それぞれ一年後輩の西村潔・石原慎太郎君と名乗り、 私に相談があって食堂を訪ねての帰りだと云う。 運良く出会えた喜びを気持の良い笑顔にした長身の両君は、 折から旭通りに昇る陽を全身に浴びて輝くようであり、 殊に満面を晴々と綻ばせた石原君は一瞬後光が射しているように見えて、 これは強運の持主に違いないと直感した。 そして、この爽やかで直截的な風貌の後輩に好感をもった。
両君の話は、文化部の中に一橋文芸部を設立し「一橋文芸」を復刊したいので、 劇研の部長として文化系各部キャプテンで構成する文化部幹事長でもあった私に、 その取運びを頼みたいと云うものであった。 入学時から文芸部の存せぬ事を不審に思っていた私は、 即座に、次の前提を措いて、精一杯の協力を約した。 それは、 (一)一橋文芸部は、部員の学内公募・自由参加により設立される。 その発刊する「一橋文芸」は、当時前期(小平校舎)にあった同人誌「雑木」 (という誌名で両君共同人だったと思う)とは全く無縁であり、その延長ではない。 (二)「一橋文芸」掲載作品は、部員か否かに拘わりなく、 ジャンルを問わず、広く学内一般より募集し、全部員(但し、参加部員)による 合評会で選定する。 (三)文化部幹事会で創刊と共に文芸誌発行予算の承認も諮るが、 何れにせよ必要となる不足分の寄附集め始め作品公募・発刊等などの実務作業は、 卒論等を抱えて作品応募すら難しいと考えられる四年生を除外し、 全て三年生を中心に進める。 …と云う条件だったが、両君共全面的に同意してくれ、 この路線で「一橋文芸」復刊に向けてのプログラムが始動する事となった。 やがて大学事務局の呼出しにより、運動部幹事長と共に予算総枠の示達を受けた後、 場所を移して双方の予算配分協議に入った。 少時議論の結果、記念イベントを抱える運動部がニ・三あったにも拘わらず、 彼は、設立されるであろう一橋文芸部の為に運動部予算の割愛に同意する度量を示してくれた。持帰った文化部幹事会では、文芸部の了承は勿論の事運動部の厚志に応ずる上からも 各部それぞれに予算を消滅し、新設部ながら最大予算の劇研に次ぎ これに近い配賦額を合意したのである。
難問の募金や作品募集・編集・発行、それに有力文学雑誌編集部への送付等は、 予定通り西村君達を軸に行われたが、寄附集め付いては、石原君の印象を以てすれば、 彼が担当する限り最終的に楽観しえようと、便宜上当初部長になった私には考えられた。 想うに、例えば石原君が私の同期生と寄附依頼に同行した伊藤繁先輩からは、 多額のご賛助を戴いたのである。 一方、合評会は新橋駅に居酒屋的小料理屋の二階で行われ、かなりの論議の末に、 創作四篇ほかの掲載作品を決定した。私は躊躇無く石原作品「灰色の教室」を推した。 若者に表象される時代の空気を映した新しい感覚と、 その世界に囲込む小説としての構成力が私を掟えたからである。 何より優先されるべき新人の要件の一つは、新しい感覚であり、 多少の欠陥はこれを しめるものでは到底無いと云うのが私の考えだった。 結局の所、確か石原作品は、比較的優勢の糧に掲載が決まったと思う。
かくして、ほぼ全学とも謂える協力を基に(と私は考えている)、 「一橋文芸」復刊第一号は成り、そして、所載の「灰色の教室」は、 「文学界」の同人誌評に採上げられて選者の激賞を受けた。 次で同誌の新人賞に応募した第二作「太陽の季節」は、 見事同賞を獲得したばかりでなく、更に芥川賞を射止めたのである。 それは、成功へ駈け上がる一分の無駄も無い疾風の過程であり、 こうして「一橋文芸」復刊第一号は、 類稀な僥運を背負った揺るぎない一人の作家を世に送った。 私が後光を視た直感は、これまでに、これ以上には無い。 --------------------------------------------------------- 文:金谷 芳郎さん(一橋大学卒業生) 金谷さんは一橋大学時代に石原慎太郎氏らと「一橋文芸」を復刊された方です。 金谷さんは同誌に次の二つの詩を寄稿されています。
題 灰のある風景 もはや いふことをやめて ほらあなのまなこを じっとこらそう
かなしみも よろこびも わすれて にほひのないむくろのうみに にんぎようのかほをむけよう
一本の骨が むしばまれ くされおち 涯てしない 灰色の影を もうみず 限りない 真黒な足音を もうきかず
こきゆう をとめて じっとたとう
題 追 懐 幼い日が どんなに恋しく思えたことか 重なり合う 水や木 土が 私の息のためにあった そんな日が。
顎然として 私はふりむく みんな知ってしまった今は 陽の前に 狼狽する私であるものを・・・・・・
身振りをして 表情をして この醜悪な骨を曝らし この腐蝕した肉を喰らふ魂は。 |
10:46, Wednesday, Sep 28, 2005 ¦ 固定リンク
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