| 第二話 われこそ元祖湘南・太陽族:かぎ家の謙ちゃん |
the 50es若者たちの生きざま「われこそ元祖湘南・太陽族」 第二回 山本三津子さん(葉山森戸「海狼」専務)
1958年(昭和33年)、とある銀座の料理屋で「太陽族元祖会」が結成されました。 集まった面々は、その青春時代を逗子・葉山の海でヨットを走らせた仲間たち。彼らを写した1枚の写真、既に映画スターとして人気を博していた裕次郎さんの右隣で優しく微笑んでいるのが、山本淳正さんでした。 「太陽の季節」の登場人物・西村のモデルともいわれる淳正さんの一人娘で、今も森戸でお父様の後の店を守る山本三津子さんに、「太陽族」とお父様の思い出について綴っていただきました。
あまりにも有名な「太陽族元祖会」。若い日の絆は、世を去るその日まで固く結ばれていた。前列向かって左から2番目が山本さん、3番目が裕次郎
「かぎ家の謙ちゃん」は、 湘南生まれの神童で、喧嘩っぱやい。
私の父 山本淳正のことを、葉山の昔ながらの地元の方々や、父の古くからの友人は皆、かぎ家の謙ちゃんと呼んでいました。 葉山御用邸の開設と同時期に、葉山森戸橋の畔に明治27年にかぎ家旅館を建て、父は昭和8年にこの旅館で生まれたそうです。 父 淳正が11才の年に父親と実弟が病気で亡くなったそうで、以後祖母は父を大切に大切に育てたと。祖母や父の友人たちから聞いた話では、「神童」は湘南中学に入学した後、やがて「悪の化身」と呼ばれ方が変わっていったと。中学生にして、一端の大人の遊びは無論、喧嘩も強かったと。
山本淳正さん若き日
Gパン・アロハに酒、ビリヤード…。 カッコよかった、「太陽族」の父。
昔の葉山は、それは賑やかだったそうです。そんな時代に父は、生涯の友人でもある石原裕次郎さんをはじめとする出会いの中、かぎ家旅館を中心に、ヨットに夢中になり学校にも行かず、麻雀、ビリヤード、クラブ、酒、女、喧嘩にあけくれるような毎日を過ごしていました。若いうちからお洒落にも気を使い、白いTシャツ・Gパン・素足にデッキシューズ、アロハシャツ…当時の写真を見ると、娘の私でもほれぼれするほどカッコよかった。でもそんな派手な遊びをしていても、友情と信頼、ルールがあったからこそ、まわりの大人から黙認されていたのでしょう。 あんな時代でしたから父は、石原慎太郎・裕次郎兄弟とも同級生で元祖太陽族とも呼ばれ、「太陽の季節」に描かれた世界そのものを謳歌したのだと思います。
ギラギラ照りつける陽射の下、サングラスは太陽族の必須アイテムだった。山本さん(左)と裕次郎(右)
太陽族の映画は、太陽族が生まれたその場で撮影された。
いかに多くの友人を持てるか―。 父が教えてくれた、人生で一番大切なこと。
私たち子供たちにとっては、家族をとても大切にし、厳しくもあり、また優しい父の印象しかありません。 人の一生の中で一番大切なことは、お金や地位や名誉じゃない、いかに多くの友人を持てるかだと、晩年の父は申しておりました。
人生の節目に、友は常に駆けつけた。後列左端が裕次郎
裕次郎さんが亡くなる直前、妙な胸騒ぎがして思わず潮の満ち引きを調べたこと。そしてあの7月17日、病院にGパンとビーチサンダル姿で駆けつけ、親族の他に友人として唯一、臨終に立ち会うことができたのです。帰宅後、声を出して泣いていた父の姿を、今でも思い出します。 時代は変わりつつも、ここ逗子葉山には変わらぬ海と山があります。 そして変わらぬ友情、それは父の一生の中で語りつくせぬぐらいの想い出がいっぱいあるのでしょう。 そんな父も今年永眠し、今では当時の写真を見ながら話してくれたよき時代が、私の想い出として残っています。
ヨット(裕次郎さんと葉山沖で。女性は白川由美)
ヨットと揺れる水面。逗子・葉山沖にて。


取材・文責:実行委員会 |
11:14, Thursday, Jul 14, 2005 ¦ 固定リンク
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