「太陽族」時代の逗子海岸

 「太陽の季節」が書かれた1950年代の世相や文化について紹介します。
第五話「太陽族」的ヘアスタイル‘慎太郎刈り’ 塩沢茂一さん
第四話(湘南海浜風俗史シリーズ
第三話(湘南海浜風俗史シリーズ1)ジャズとハワイアン・ミュー ..
第二話 われこそ元祖湘南・太陽


第一話 太陽の季節の時代-皇室と逗子と太陽族
第一話 太陽の季節の時代

私の証言(1) 皇室と逗子と太陽族


1当時の横須賀線は冷房も無く、逗子駅に降りるとなんとも涼しく澄んだ空気に
思わず深呼吸をして生き返ったほどでした。

人口も少なかった為、見知った顔が多く、駅で出会えば
「ヤァーヤァー」と声をかけ合う和やかな時代でした。

横浜横須賀道路も逗葉新道もない時代ですから、
逗子葉山を大変愛された皇室の方々も例外ではありません。
葉山の御用邸に行かれる陛下も逗子駅を利用されていました。

逗子駅が葉山への、唯一のゲート・ウェイだからです。

昭和天皇は、ご公務ご多忙の中、海洋生物のご研究、
ご静養とご滞在になられ、近くの漁師達とも親しくされておられました。
逗葉の町民は、ワイシャツを腕まくりされ、
麦わら帽子、長靴のお姿に、益々親近感を深めたものでした。

今上陛下は学生時代でいらしたことから、友人達と舟を出されて泳がれたり、ある時はテニスに、あるときは近隣の友人宅などにお出ましされていました。きっと、思いで深い良い時をお過ごしでいらしたと思います。

御用邸としては近隣に住民が多い葉山は、若い頃からの親しみある土地なのでしょう。
現在でもご公務の合間に年に何度かのご来訪は続いて、
必ずといってよいほどテニスもプレイされておられます。
地元ではその折々に温かいお人柄に接することが出来、
大きなよろこびになっていることは変わりません。

逗子の海は、今と違って海岸線が未整備で、コンクリートの建物も無く、
海岸沿いは別荘の名残りの大きなお屋敷が多いのが特徴的でした。ある時は近道のため、
お庭先きをちょっと失礼して海岸に降りるという、のどかなものでした。

その砂浜には、太陽族といわれた“お兄さん達が”、アロハあり、白シャツあり、
サングラスのニューファッション(?)で身をかため、肩をいからせて、カッポしていました。
何処か、育ちの良さが見えると共に不良を演じている風でした。ヨットのそばでたむろしている彼等に、若い女性達は熱い視線をおくり、
それにこたえている様は、まさに「太陽の季節」そのものです。

その時代の大人の眼にはどう写っていたのでしょうか、
多分「あのお坊ちゃまがー」と思われていたかも知れません。
海辺のあの赤いパラソルには、何処の女子大生達、あちらには慶応生達のグループと、
逗子海岸は、住民子弟の社交場と化していました。

近年は逗子も開発されて、人口も増し、海岸線にはレストランやマンションが建ち並びます。
ヨットだけでなく、数多くのウィンド・サーフィンでにぎわう様になり、ずいぶん変わりました。
昔の様子を思い起こすのが難しいほどです。

知り合いの太陽族のお兄さん達、またその弟分達は長じて結構まともな大人になり、
すでに老人の仲間入りをしています。いまさらながら早い年月に驚いています。

福井ふさ子


福井さんは現在葉山在住。湘南白百合学園、聖心女子大学卒業。
ご主人は今上陛下のテニスのご学友です。

12:39, Wednesday, Jul 13, 2005 ¦ 固定リンク

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