第一話 太陽の季節の時代
私の証言(1) 皇室と逗子と太陽族
当時の横須賀線は冷房も無く、逗子駅に降りるとなんとも涼しく澄んだ空気に 思わず深呼吸をして生き返ったほどでした。
人口も少なかった為、見知った顔が多く、駅で出会えば 「ヤァーヤァー」と声をかけ合う和やかな時代でした。
横浜横須賀道路も逗葉新道もない時代ですから、 逗子葉山を大変愛された皇室の方々も例外ではありません。 葉山の御用邸に行かれる陛下も逗子駅を利用されていました。
逗子駅が葉山への、唯一のゲート・ウェイだからです。
昭和天皇は、ご公務ご多忙の中、海洋生物のご研究、 ご静養とご滞在になられ、近くの漁師達とも親しくされておられました。 逗葉の町民は、ワイシャツを腕まくりされ、 麦わら帽子、長靴のお姿に、益々親近感を深めたものでした。
今上陛下は学生時代でいらしたことから、友人達と舟を出されて泳がれたり、ある時はテニスに、あるときは近隣の友人宅などにお出ましされていました。きっと、思いで深い良い時をお過ごしでいらしたと思います。
御用邸としては近隣に住民が多い葉山は、若い頃からの親しみある土地なのでしょう。 現在でもご公務の合間に年に何度かのご来訪は続いて、 必ずといってよいほどテニスもプレイされておられます。 地元ではその折々に温かいお人柄に接することが出来、 大きなよろこびになっていることは変わりません。
逗子の海は、今と違って海岸線が未整備で、コンクリートの建物も無く、 海岸沿いは別荘の名残りの大きなお屋敷が多いのが特徴的でした。ある時は近道のため、 お庭先きをちょっと失礼して海岸に降りるという、のどかなものでした。
その砂浜には、太陽族といわれた“お兄さん達が”、アロハあり、白シャツあり、 サングラスのニューファッション(?)で身をかため、肩をいからせて、カッポしていました。 何処か、育ちの良さが見えると共に不良を演じている風でした。ヨットのそばでたむろしている彼等に、若い女性達は熱い視線をおくり、 それにこたえている様は、まさに「太陽の季節」そのものです。
その時代の大人の眼にはどう写っていたのでしょうか、 多分「あのお坊ちゃまがー」と思われていたかも知れません。 海辺のあの赤いパラソルには、何処の女子大生達、あちらには慶応生達のグループと、 逗子海岸は、住民子弟の社交場と化していました。
近年は逗子も開発されて、人口も増し、海岸線にはレストランやマンションが建ち並びます。 ヨットだけでなく、数多くのウィンド・サーフィンでにぎわう様になり、ずいぶん変わりました。 昔の様子を思い起こすのが難しいほどです。
知り合いの太陽族のお兄さん達、またその弟分達は長じて結構まともな大人になり、 すでに老人の仲間入りをしています。いまさらながら早い年月に驚いています。
福井ふさ子
福井さんは現在葉山在住。湘南白百合学園、聖心女子大学卒業。 ご主人は今上陛下のテニスのご学友です。
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12:39, Wednesday, Jul 13, 2005 ¦ 固定リンク
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