文学碑を訪れた後は、海岸や街中をのんびり散歩しませんか?
このサイトでは慎太郎さんも見たり食したりした、逗子や葉山の魅力をお伝えします。
第三話 渡辺順寛さん「小さな逗
第二話 高橋健司さん「雲の展望
第一話 高梨 文さん(珠屋洋菓
第三話 渡辺順寛さん「小さな逗子から日本へ・・・手作り居酒屋甘太郎」
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湘南の小さなまち・逗子から日本へ・・・。
でも、逗子で誕生し日本中へと広まっていったのは、「太陽族」だけではありませんでした。
今回は、逗子に「居酒屋甘太郎」第一号店を誕生させ、現在では全国に飲食店を展開する一部上場企業にまで成長した株式会社コロワイドさんの、約30年にわたる大躍進をご紹介します。
お話をうかがったのは、社長の渡辺順寛(のぶひろ)さんです。




逗子銀座通りに響く、「いらっしゃいませっ!」の声

―逗子にお店を開かれたのは、約30年前、ということですが、一番初めはなんと今川焼のお店だったとか。

逗子に居酒屋甘太郎一号店が開業したのは、今から28年前の、昭和52年(1977年)の9月。
現会長(蔵人金男さん)が経営する家族経営的なお店でした。
居酒屋をやる前は、会長のお父様が「甘太郎食堂」を長いこと営業していましたが、そこは甘いもの屋兼中華食堂でした。
「甘太郎焼」という今川焼が人気で、夏場になると銀座通りは歩行者天国になり、大勢の海水浴客で道が真っ黒になるくらいでしたが、そういった方たちもお客様でした。
先代が店を閉め、半年後に居酒屋を開業しましたが、その時会長は30歳。
私(渡辺社長)は、その甘太郎で大学3年生のときからアルバイトを始め、2年後の昭和55年(1979年)3月にそのまま社員になりました。
先代の経営していた中華食堂にも2、3回は行ったことがありましたが、大きな餃子と大きな今川焼(甘太郎焼)で有名な店だったそうです。
今でこそ数多くの飲食店がありますが、当時逗子銀座通りに居酒屋は一店だけ、広さは27坪、54席の炉辺焼きの店でした。
長いカウンター越しに、ずらりとならんだ新鮮な食べ物をお客様の目の前で焼き、柄杓でぱっと出す、そんなスタイルをとっていました。
メニューも最初は普通の紙に書いていました。
料理の提供は、一番初めは200円とか220円とかの均一料金でした。
料理の皿と一緒に(値段の)札を出すというシステムをとっていましたが、中には札を懐にしまってしまうお客様もいて、閉店後売上があわない、なんてこともありました。



―今の回転寿司のようなシステムを、先駆けて取っていたのですね。

お客様は商店街、当時の国鉄逗子駅の方、市の職員、郵便局、逗子小中学校、葉山の方など。
逗子は産業のないまちだから、そのような方が多かったですね。
夏場になると、葉山にヨット部の合宿にくる学生が毎年のように大勢詰め掛けました。
慶応、明治、中央などですね。
先輩に連れられて後輩が来て、その後輩がそのまた後輩を連れてくる、という感じでした。



―学生でも安心して来られるお値段だったからですね。

土日は家族連れが多かったです。
必ず何時何分に電話があって、いまからいくよ、という感じでいらっしゃる方が多かった。
おじいさんおばあさん、ご両親、お孫さんというように三世代で来て、家族で夕飯を食べて帰るのが定番、というのもありました。
若者が集まる明るい店でしたから、店で知り合い結婚したというカップルも多いですよ。
当時飲み屋というと、まだ陰湿な感じが残っていて、飲めばケンカ、というのもありましたけれど、うちはそういう感じはなかったですね。
地元の女性客も多くて、全体の3割程度はそうでした。
しかも若い女性ばかりで。
サーフィン雑誌などにも掲載されることがよくありました。
店内にはBGMを流していました。
今でいうところの有線放送ですが、流行のヤングミュージックを流していました。
店は逗子銀座通りの中央(現在の河野新聞店付近)にありましたが、そこからの「いらっしゃいませっ!!」の掛け声は、横浜銀行まで聞こえるといわれました。
元気のよさでは逗子一だったと思います。
私が当時店長をしていましたが、朝礼は通りに向かってやっていました。
横須賀、横浜からもお客様はいらっしゃいましたが、開店時間の夕方4時からいらして、終電11時40分の前、35分ぎりぎりまでいらっしゃいました。
席が足りなくなって、ビールケースをお店の前に出して座っていただくこともありました。
こういった一号店の、伝説を作るくらいの繁盛が、今のお店の基本になっているといえます。
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懐かしい!開店当時の甘太郎お品書き
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新鮮な食材を炉ばた焼で楽しむ、というのも新しいスタイルだった
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びっくり料理の「かえる」とは…?


―現在でも甘太郎さんではユニークなメニューが多いですが、当時のメニューもとても面白い品名がありますね。

一号店から三号店くらいまでは、会長のアイデアが全てでした。
メニューは飲食店の「武器」、そして「武器」を磨くのが経営者の役割ですから。
朝、会長が南部市場に仕入れに行き、従業員たちはその帰りを待っている。
そして仕入れたものはその日のうちに売り上げる。
珍しいものを面白く、いいものを安くというのがその当時の基本姿勢でした。




逗子を飛び出し、県下へ、東京へ、全国へ!

―その後、逗子から藤沢へ移り、さらに東京へと進出したわけですが。

昭和61年(1986年)に本社を藤沢に移し、町田に東京第一号店をだしました。
ただ、町田は東京という認識があまりなくて、大和のからさらに商域を広げる、という意識のほうが強かったですね。
本格的に東京に進出したのは平成6年(1994年)6月、蒲田への出店です。
当時は居酒屋が右肩上がりの時代で、その中でもやはり東京が一番繁盛する場所だったので、そこに進出しようというわけです。
蒲田を選んだ理由は、既に神奈川県には数多く出店し川崎にも店があったので、ドミナント※での出店ということ、またセントラルキッチンから食材を運んでいたので近い場所ということなどです。
ですがなによりも、蒲田には既に、東京進出をしたら確実にライバルになる企業が出店していて、その競合に勝てば、東京でも勝てるだろう、という考えがあったからです。
JR蒲田駅前の東急に3店舗分空きがあり出店しました。
売上は日計であがってきましたが、それを見ると、実に開店当初から当社が勝ち続けたので、これはいけるだろうと。
そこで一気に拡大に出ました。
二号店は渋谷、そして六本木のロアビル、東京のど真ん中です。
そして現在は新宿だけで20店、渋谷も10数店など、首都圏には約300店舗があります。
東京進出の3年度には大阪に出店、現在は近畿圏で110件です。
また平成11年(1999年)に店頭公開を果たし、つづいて翌年東証第二部に上場、平成14年(2002年)9月東証第一部上場、平成15年(2003年)北海道に進出し、現在50店を展開しています。
昨年平成16年(2004年)には東北に55件、また今年に入って名古屋に出店し、提携店とあわせて約380店です。
総店舗数は約860店、売上規模は約1000億円となりました。




―階段を駆け上がるような勢いですね。

東京への進出は、まさに「機が熟した」、という感じでした。
「どう知恵をだせばお客さまの再来店をうながせるか」ということを、20年もの間神奈川でじっくり考えてきたわけですが、長年やっていると結構知恵が付くものです。
やはり逗子でずっと商売をし、そのノウハウを積み重ね、今の当社の商売の基盤になっています。



―ご商売の仕方で、逗子と東京進出後で変わったところはなんですか。

競争相手がいることがまったく違いますね。
日本全国をターゲットにすると、競争相手がそれだけ増える。
同業他社に対して、当社独自の差別化をいかにとるか、強みを伸ばしていけるような戦略を常に考えています。
例えば業態をとっても、総店舗のうち約100店は居酒屋甘太郎ですが、それ以外は別の業態で展開しています。
その種類は約70、アメリカンスタイルのレストランやイタリアン、和食、中華、カラオケ・・・と、ありあらゆる種類の業態をもち、出店する地域にあわせて選択しています。
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初めてカラー写真を使ったお品書き。当時三店舗。






勇気と決断、そして情熱がなによりも大事

―小さなまち逗子から東京へと飛び出していった、その原動力というか、パワーはものすごいものがあったと思います。
その最初の第一歩だった、藤沢への本社移転のころはどのような様子だったのでしょうか。

藤沢に本社を移したのは、小田急沿線と京浜急行沿線に出店をしていこう、という戦略があったからです。
特に藤沢については、商売の面もさることながら、社内の人間の便利さという点もありました。
というのも、藤沢というところは電車の乗り継ぎのよいところですね。
東京にも、大和にも、新宿にも藤沢なら行ける、だが逗子ではそれができない…一度大船に出なければなりませんからね。
要は、会社の方向性と店の内部の動きとがマッチするのが藤沢だったのです。
逗子から一歩飛び出しどこに店を出すか…もう、これは創業者の土地勘というか、直感が全てです。
店を出したら絶対に成功させるんだという緊迫感が漂っていました。
物件選別の直感と決断の連続でした。
決断したら決して後ろを振り向かない、勇気と決断…当社の社名の由来「COLOWIDE…COURAGE(勇気)とDECISION(決断)」ですね。
この頃出店した店では、どういうわけか開店当日が台風や大雨ばかりで。
平塚店開店や逗子店のリニューアルの時は台風、大船店の時は柏尾川が増水して溢れ床上浸水したり。
一日の売上の有無が死活問題のときにまさに逆境に立たされましたが、でもそれらを跳ね返す程のすごいパワーがありました。
私はよく会長が、市場から戻った後配送トラックの中でばったりと休んでいるのを見かけました。
そういったパワーは「若さ」だけではない。
「情熱」があるからだと思います。
やると決めたら、とことんやっていく「情熱」、それが今の創業の精神になっています。
事業には数字の分析も大切だが「情熱」など非科学的な心的エネルギーが非常に大事だ、ということが、本当によく分かります。



―コロワイドさんからの、逗子へのメッセージをお願いします。

逗子も高齢化が進んでいるが、若い人も暮らす、活力のあるまちになってほしいです。
そのために、若い人たちが集まるようなかっこいい店を作ることで私たちは力になることができます。
逗子海岸のナポリレストランの「カンティーナ」や鉄板焼きの「蔵の木」などは、若い人が集まる湘南海岸の名物にもなっていると思いますし、近隣企業の従業員さんへの推薦店にもなっています。
また戸隠蕎麦「みなも」は、宴会や冠婚葬祭で使えるような店を、というのがありました。
逗子海岸を見下ろす2つのレストランには近所の方も随分お見えになっていただいているようです。
そういう方が、市外からお客様が来たとき海を見せるために連れてきていただくにも最高のロケーションです。
スポンサーとしてご協力している花火大会も、逗子の夏の名物になればと願っています。


※ドミナント:ドミナント戦略
ある一定の地域に集中的に出店や拡大をして認知度などを上げ,競合他社に対する優位性を保とうとする経営戦略のことです。


取材・文責:実行委員会
17:42, Tuesday, Sep 27, 2005 ¦ 固定リンク


第二話 高橋健司さん「雲の展望台・披露山」
逗子の魅力の一つ、豊かな自然。
名所史蹟やうまいもの巡りもいいですが、気持ちと時間にゆとりがあるときは、「空を眺める旅」にでかけませんか。
今回は大ベストセラー「空の名前」の著者であり、長年にわたり気象の変化を撮り続けてきた逗子・小坪在住の高橋健司さんに、逗子ならではの自然の味わい方--雲の観察について、お話を伺いました。



雲の展望台・披露山
雲の観察には、披露山へよく行きます。披露山は雲や気象の変化を観察するのにとても適した場所※1です。著書:空の名前 にも、披露山で撮影した写真が多く使われています。写真を撮るにも披露山はよい場所です。写真では(手前にくる)近景・中景・(遠くに見える)遠景のバランスが重要ですが、披露山から見る風景には近景に逗子マリーナ、中景に江ノ島、遠景に富士山がバランスよく配置され、奥行き感と広がりのある、いい写真が撮れます。隣りの大崎公園からも同じような景色が見られますが、近景に配置する逗子マリーナがやや近すぎて、バランスが崩れてしまいます。
披露山でバランスのよい景色を見るなら、展望台の上か、その前のベンチのところがよいです。一方公園の先端からは逗子湾方面しか見ることができません。最近は披露山での写真撮影も人気があるらしく、お話したようなバランスのとれた構図で写真を撮影できる場所は限られているため、タイミングを逃すとなかなかいい場所をとることが難しいです。最近は4月5日のダイヤモンド富士※2のときなど、非常に混んでいました。

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珍しいレンズ雲





※1 披露山以外のご近所雲観察おすすめスポット
  1. 鎌倉ハイランド西側緑地付近
    住宅地の端を沿うようにして作られた小さな公園。ここから北側の空に天園の煙突の左右に入道雲ができる様子などが見られるとのこと。
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    鎌倉ハイランド西側緑地


  2. 鎌倉ハイランド かまくら幼稚園前
    こちらも住宅地の端にある遊歩道。北西方向に、丹沢の山並みから沸きあがる雲を見ることができる。ここからの夕陽はとても美しく、富士山を見ることも。
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    かまくら幼稚園

    いずれも住宅地の中で、近隣の方の散歩コースや憩いの場となっている。迷惑に成らないように、特に駐車禁止場所、エンジンかけっぱなしなどの騒音、ごみのポイ捨てなどには気をつけましょう。

※2 ダイヤモンド富士
富士山の頂きに、太陽が沈む現象を「ダイヤモンド富士」と呼びます。平均すると9月6日渚橋付近、7日逗子マリーナ・披露山公園・大崎公園、10日かまくら幼稚園が見られます(うるう年は日にちがずれます)。





披露山から見る空・七変化

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山旗雲(やまはたぐも)
 


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くらげ雲…高層雲


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雲の澪(みお)


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台風一過の空


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冬霞(ふゆがすみ)


この7枚の写真は、いずれも披露山で撮影したものです。例えば観光などで訪れた人が、披露山から景色を観て「ああきれい」と満足して帰っていく。するとその人にとっての「披露山からの景色」はわずかな時間で観たそれだけ、になってしまいます。ですが季節や日、時間が変われば、実に様々な景色に出会うことができます。




冬の山旗雲、夏の笠雲
富士山を起点に南側に長く伸びるように見られるのが山旗雲です。
これは北風が強いときに発生します。
この発生のメカニズムは、空・風・富士山の関係をちょうど川・流れ・岩に例えると分かりやすいです。
川の中に岩があるとします。
流れは岩を避け両脇に逃れますが、岩の川下側でまた一つに合流するでしょう。
その時合流付近には渦など流れの乱れができます。
空でも同じようなことが起こっていて、山の風下に風の流れの乱れができ、そこに雲が発生するのです。
山旗雲という呼び名は古く万葉の時代からのもので、富士山を旗のポールに、雲を旗(吹流しのようなもの)に見立てています。
北風が強まるのは、西高東低の気圧配置が強まる頃、
つまり冬です。

山旗雲が見えたら、ああ冬が本格的になったな、と感じることができるでしょう。
富士山の山頂をすっぽりお椀のような雲が覆ってしまうような状態、それを笠雲(かさぐも)といいます。
笠雲は夏場や台風の時期、あるいは春先に、低気圧が発達しながら日本海を進むような時に見られます。
このメカニズムは、南海上の湿気を多く含んだ南風が、富士山を越えようとするとき、富士山の山肌を登っていくうちに冷やされて雲になるのです。
富士山の周りでこのように珍しい雲が見られるのは「3776メートルという高さ」「単独峰」の2つがポイントです。
地球をとりまく空気の層は1万メートル前後といわれますが、富士山はその4割弱にあたる高さで、いわば衝立(ついたて)のように空気の層にそびえ立つような状態にあります。
雲は風が乱れる場所にできるので、他の単独峰に比べると、ついたてが高い分、空気の流れが乱され、珍しい雲が発生しやすい、ということです。
他に、近くは大島(三原山)、遠くはイタリア・シシリー島の火山なども単独峰なので、笠雲ができます。
シシリーでは、笠雲を「風の伯爵夫人」と呼んでいるそうです。
また、富士山に笠雲ができるときは、伊豆半島を縦断する伊豆山系にも同じように山の頂上にかぶさるように雲が伸びることがあります。
これは高い山が連なっているため、笠雲が横につながっているような状態といえます。



天空で降る雨・くらげ雲
気象学では、雨は地面まで届いてはじめて「降水」と呼ばれ雨と認識されますが、くらげ雲は、雨が地面まで届かないうちに蒸発していく様子がみられるものです。このような空の断面図が見られる披露山からは、こうした雲の一部から、海面に雨が届いている様子が見られることもあります。



雲の澪(みお)
船の通り道で、海の中でも深くなっており航行しやすいところを澪(みお)と呼びます。それを雲になぞらえたもので、空に道ができたように、雲がつながった様子を指します。



どんよりした雲も、時がたてば美しく
空が低く、どんよりした「うっとうしい」雲。この雲の学名は層積雲(そうせきうん)で、畝雲、嵩張雲(かさばりぐも)、八重棚雲(やえたなぐも)などの愛称があります。でも、夕暮れが近づくと、雲に対し真上にあった太陽の光が、斜めから差し込むようになり、「天子の梯子(てんしのはしご)」というなんとも美しい景色をみることができます。

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天子の梯子




夕日は沈んでからが、見もの
西側の空が見られる披露山は、夕陽の展望台としても適しています。ただ残念なのは、夕陽見物に訪れた方々の多くが、日が沈んだと同時に帰ってしまうこと。実は、夕陽は沈んでから、空の色が刻一刻と変わる様子が、とても美しいのです。
日が沈んで30分から1時間くらいが、空の色の変化が美しい時間。日が沈んでしまうと、とたんに周囲が暗くなったように感じますが、これは暗さに目が慣れるまでの一瞬です。しばらくすると目が慣れてくるので、色の変化をきちんと見ることができます。
さらに周囲が暗くなるので、色がより際立って見えてきます。
冬至の日の夕陽は、地球規模で見ると、ちょうどアフリカ・マダガスカル島の正午の太陽を見つめているような状態になります。
目の前の真冬の太陽が、地球の反対側にある熱帯アフリカの空高く輝いている、と思うと、地球の大きさを感じることができます。

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景色を美しく撮影するには
撮影するときは、ひたすら「待つ」という姿勢が大切です。水筒に好きな本など持っていき、ゆったりした気持で待つのが雲の観察にはぴったりです。ちなみに私は、ベンチに寝転がり、目覚ましをかけて30分ごとに起きては空の変化を見、何もなければまた寝転がる、というスタンスでいます。一日中公園にいるつもりで、何も予定を入れない日にのんびり行くのがよいです。
撮影は道具の使い分けも必要です。例えば望遠レンズを使うとか、どう風景を切り取るか、によってだいぶ違います。写真は職人技と同じです。道具をうまく状況によって使い分けてほしいですね。



わずか10種類の雲の名前
日本は地形が複雑で、発生する雲の種類も千差万別。ところが雲の状態を示す雲を分類する基準※3はわずか10種類です。日本で見られるありとあらゆる雲は、この10種類の中に全て分類されますが、分類はかなり困難です。例えば夏に空高く見られる入道雲と、真冬に日本海側を豪雪地帯に変える雪雲も、分類上は同じ積雲や積乱雲になります。
※3 気象学による雲の10分類
  • 巻雲(けんうん)、巻積雲(けんせきうん)、巻層雲(けんそううん)
  • 高積雲(こうせきうん)、高層雲(こうそううん)、
  • 乱層雲(らんそううん)
  • 層積雲(そうせきうん)、層雲(そううん)
  • 積雲(せきうん)、積乱雲(せきらんうん)


    詳しくは、高橋さんの著作「空の名前」をごらんください。





雲の大名行列を見逃さず、明日、明後日の空を読む
天気の変化はいきなりではなく、必ず予兆があります。それは空に見られる雲の状態によって予測することができます。雲は、雨雲から遠い順に、次のように並んでいます。
筋雲(すじくも)→いわし雲→うす雲→ひつじ雲→雨雲
例えるなら「雲の大名行列」。最後にやってくる大名(=雨雲)より前に、これだけの雲がやってきます。低気圧の規模によって、この列の長さは変わりますが、要は、そらにどの雲が出ているかによって、雨雲がどれだけ近づいているか予測できる、ということです。
天気は、離れた都市の空の様子からも予測できます。例えば東京が晴れているとき、名古屋では曇り、福岡で雨、という天気だったとします。低気圧に伴ってできる雲域(くもいき)は東西が500kmないし1000km位ですので、東京では翌日くらいに曇りになり、翌々日以降雨になる、というふうになります。また上海など大陸の天気をも視野に入れれば、もっと未来の天気を予測することもできるでしょう。
地方によっては「あの山に雲がかかれば雨」など、昔からの経験則で言い伝えられていることもあります。そういうことにも心かけて欲しいものです。



自分から自然に近づくという姿勢を忘れずに
よく「最近、自然の営みが感じられない」という声を耳にしますが、空を見上げれば雲の形は刻一刻と変化している、それこそ、自然の変化はそこに存在している、という証拠です。要はそれを見ようとする気持ちがあるかどうか。自然からのメッセージは絶えることはありません。
それに気づき、受け止めようとする姿勢が大切なのです。
例えばバスを待っているとき、時間がなくてイライラする前に、歩道の横にある花や雑草に気がつくこと。そこにも自然からのメッセージが届いています。
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写真提供:高橋健司氏






インタビュー後記
応じてくださる側にもかかわらず、自らインタビュー場所へいらしてくださった高橋さん。約1時間半にわたる長い時間、とても興味深いお話をたっぷり聞かせてくださいました。
「雲は風が吹くと形を変え、太陽の光でその色を変えます。風で変わるから「風景」、光で変わるから「光景」と呼ぶのです」。静かな語り口調の中に、自然への深く熱い愛情が感じられる、とても魅力的な方でした。

高橋健司さん
1946年京都府宇治市生まれ。
1965年より財団法人日本気象協会勤務。1996年同財団を退き、現在有限会社空色通信代表。社団法人日本写真家協会会員。日本自然科学写真協会会員。


「空の名前」
(表紙写真)
角川書店 2,625円


>>こちらから購入できます。


取材・文責:実行委員会
18:00, Thursday, Aug 25, 2005 ¦ 固定リンク


第一話 高梨 文さん(珠屋洋菓子店)
逗子の子どものおやつは?と問えば、誰かが必ず答える「珠屋のケーキ」。

お誕生会のケーキが珠屋だった、という方も多いのでは。実は、太陽族が闊歩していた50年以上前から逗子銀座通りにある、老舗なのです。

シュークリーム、エクレア、スイスロール...慎太郎さんや裕次郎さんもあこがれた魅惑のスウィーツたちを、創業以来作り続けてきた高梨 文さんに、お店の歩みや、石原家のお話をインタビューしました。
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―創業50年とお聞きしましたが。

・現在の場所(逗子銀座通り)にお店を構えてからは50年が経ちました。それ以前は森戸海岸にお店があり、写真屋や海の家なども致しました。「かぎや」さん(現在の海浪)・菊水亭さんとならんで営業しておりまして、夕方になり店にあかりがともりますと、その辺りは「いかにも森戸らしい」風景になったものです。現在の場所に移りましてからは、当時では珍しかった洋菓子店を開店しました。その後ケーキ工房を店の上に作ったり、喫茶スペースを奥に作ったりなど改装をして、現在の姿になりました。

―最近では逗子にもケーキ屋が増えましたが、当時は珠屋だけでした。子供のとき、お菓子のご馳走といえば珠屋のケーキでした。お土産でお客様が見えると、客間をこっそり覗きながらワクワクしたものです。

・当時贈答用としてご用意しておりましたのは、スイスロールと、白スポンジにチョコレートをコーティングし、胡桃をあしらったケーキの2本セット。1000円という価格は、当時としてはかなり高価だったと思います。ロールケーキは(クリームの)絞りなどを施したケーキより比較的作りやすかったということもありまして、開店当時から作っておりました。

―50年前というと、ちょうど太陽族が闊歩していた頃ですね。その当時からあるケーキというとなんですか。

・開店当初からあるのは、シュークリーム、ゼリーなどですね。今は止めてしまいましたがババロアなども作りました。シュークリームはレシピも変えていません。ゼリーは濃い緑色で、もう少ししゃれたもののほうがいいのではと主人に言ったんです。でもこれでいい、ということだったので、そのままにしております。


―あのカラフルさがまた魅力的で、子どもにはうれしいおやつですね。今の一番人気ケーキは、なんといってもピーチロールでしょうか?石原良純さんがテレビ番組で紹介してから、一躍有名になりましたが。

・お店のケーキとしては新しいほうかと思っておりましたが、それでも40年は売っておりますね。その他昔からあるものといえば、モザイクやザバロールなどですね。
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人気ナンバーワン・ピーチロール。今日も残りわずかだった
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ロールケーキは今も昔もヒット商品。「新メニュー」マロンロール



―石原家の方もケーキを買いにいらっしゃいましたか。

・まだ4人の息子さんが小学生位の頃だったか、お母様と一緒にケーキを買いにお見えになったことがありまして、店の入り口でさわいでいると、お母様の「静かになさい」の一言でぴたっとおしゃべりをやめ、お行儀よくしていたのが印象的でした。また、長男の伸晃さんだと思いますが、中学生くらいの時赤電話をかけておられる時、その話をする様子がとてもきっちりとしていて、お家でしっかり躾をなさっているのだ、と思いました。大きくなってからはお勉強が忙しくなったのか、あまり見えなくなりました。

―最近はいかがですか。

・石原慎太郎さんご自身が買いにいらっしゃることもあります。先日も、東京に帰るときに立ち寄ってくださいました。私が「いつも同じことばかりやっているんですよ」と話すと、「それが、いいんですよ」と言ってくださいました。

―確かに珠屋さんの魅力は、子どものとき食べた味がそのまま「変わらないこと」だと思います。いつでも変わらずそこにあり、安心して食べられる「家庭の味」のような感じですね。

・このあたりの奥様方は、東京から逗子までお茶も上がらず帰り珠屋に来ると「ほっとするのよ」と言ってくださいます。私などは、東京に出た時、今どきのケーキをみると、変わらないといけないのではないかと思ったりしますが、お客様からは「変わらないで」とよく言われます。お店でスポンジからしっかりと、お客様の望まれる味をきちんと作っていくのが、一番だと思います。



石原家の食卓・この逸品

<太陽族も頬ばった、変わらない味のおやつ>シュークリーム

昔から変わらないレシピ、と高梨社長もお話していたシュークリーム。二つに割ったシューの間に挟まれたクリームは、よく見かけるホイップ状や生クリーム入りのものではなくカスタードクリームです。ほのかなバニラの香りがし、甘さも控えめすぎず、くどすぎず。リキュールなどを多用した最近のお菓子の香りとは異なる、昔ながらの味わいです。香ばしい薫りのシューも、しっとりとした感じがクリームと口の中で一つに溶けあいます。まるでお母さんのような、優しい美味しさです。

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シュー・ア・ラ・クレーム





<これぞ、珠屋ケーキの真髄!>復刻版・スイスロール

復刻版として登場した「スイスロール」。ロールケーキが珠屋ケーキの始まり、と教えていただきましたが、「ロール・バタークリーム・アプリコットジャム」という珠屋ケーキの三大要素?を兼ね備えた、まさに真髄とも言えるケーキです。

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伝統の味:復刻版スイスロール


キメの密なスポンジと真っ白なバタークリームを一緒に巻き込み、上に固く煮詰めたアプリコットジャム、アーモンドスライス、網目に描かれたアイシングが飾られています。最近のふわふわスポンジとは違う、どちらかというとどっしりしたスポンジはとても食べ応えがあり、甘さもしっかり。でもこれがバタークリームのなめらかなコクとぴったり合って、一つで大満足気分になれます。濃いめのコーヒーや紅茶とあわせると、おいしくいただけそうです。




1珠屋洋菓子店

神奈川県逗子市逗子1-5-8

電話 046-871-2242

ホームページ http://www.tamaya1950.com/

eメール   info@tamaya1950.com

地方発送あり



取材・文責:実行委員会
12:16, Thursday, Jul 14, 2005 ¦ 固定リンク


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