「太陽の季節」が生まれた逗子海岸の今を紹介します。
 ヨット、水上スキー、ボート・・・。
 「太陽の季節」に描かれた当時の若者たち'太陽族'は、その多くが海に魅せられ、海で過ごすことに夢中になりました。
 このサイトでは、「太陽の季節」が生まれた逗子海岸で今も盛んな海辺のアクティビティを楽しむ方のお話を連載し、
 その魅力をお伝えします。
第二話 ペットボトルエコいかだコンテスト
第一話 長島一由さん(逗子市長) 逗子の海のいまを語る


第一話 長島一由さん(逗子市長) 逗子の海のいまを語る
nagasima2逗子の海のいまを語る
「逗子シーサイドアクティビティ」

ヨット、水上スキー、ボート・・・
逗子で生まれた太陽族たちは、
その多くが海に魅せられ、
海で過ごすことに夢中になりました。

今でも逗子では
海辺のアクティビティがとても盛ん。
特に、週末のたびに逗子湾をところ狭しと
行き来するウィンドサーフィンの姿は、
逗子の海を象徴する風景の一つになっています。
そこで、自ら世界大会3位の実績を持つ
ウィンドサーファーであり、
逗子の海を愛する一人でもある
長島一由さん(現・逗子市長)に、
海に対する思いや文学碑設置までの秘話などを
綴っていただきました。
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疾走する、色とりどりのセイルの群れ。
逗子はまさに‘ウィンドサーフィンのメッカ’。

潮の香りが絶えない逗子のまち。私自身、
20年間続けているウインドサーフィンが
縁で湘南に住み、その結果として今の仕事を続けていますが、
「太陽の季節文学碑」の建立が予定されている逗子海岸は、
色とりどりのセイルが年中絶えない
ウインドサーフィンのメッカでもあります。


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「石原慎太郎です。応援するよ―。」
一本の電話から始まった、出会い。


「石原慎太郎です。応援するよ、一緒に国とけんかしよう!」、
98年に逗子市長に当選した翌日、
石原慎太郎さんからの電話での第一声でした。
その4ヶ月後には、一旦は政治の世界から退いた石原さんが
再び東京都知事として桧舞台に立ちました。
石原さんは東京都知事になってからは、逗子中心の生活から東京に軸足を移したものの、
折りに触れ「逗子駅前の渋滞を何とかしろよ、
俺が専門家を派遣してやるから」などと激を飛ばされたり、一方では逗子市制記念50周年イベントでは記念講演をしていただくなど、
幼少期から故・石原裕次郎さんと過ごした逗子市のことを常に気にかけてくれていました。
そんな石原慎太郎さんを東京都知事という存在以上に、一夏に約300万人が逗子海岸に詰め掛けた頃を懐かしむ逗子の人たちの心を捉えて離さないのは、
小説『太陽の季節』で芥川賞を受賞し、
逗子や葉山など湘南発の太陽族ブームの火付け役となった天才作家としての石原慎太郎さんという存在です。
逗子の市長をしていく中で、そのことを日頃から肌で感じてきました。

逗子の海に、新しいモニュメントを!
多くの方の協力を得て今、新たな太陽が生まれる。

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そういう状況を踏まえて「ぜひ、太陽の季節の文学碑を逗子海岸に」という話が
持ち上がりました。
地元の新宿町内会や経済界の人たちが集まって、
ひろく協力をよびかけよう、ということになったのです。
こうした皆さんが「みんなの手で作ろう」と設立にむけて
先頭に立ち尽力していただいていることは、
石原さんに対する地元の人たちの敬愛の念と感謝の気持ちの
表われだと思います。
海のそばに暮らす―。その喜びを存分に享受できるまち・逗子に、
この秋誕生する文学碑が、
新たな呼び水になることを心から期待しています。




東京大学のメディア環境学の濱野保樹教授の「模倣される日本」という本に、
石原慎太郎さんの作品が、特にフランスで上映され、
「勝手にしやがれ」のゴダール監督らに強く影響を与え
‘ヌーベルバーグ’ (nouvelle vague…新しい波)になったと記述されていたのを
読んだことがありました。

そして、2005年10月に私は韓国釜山の国際映画祭に参加してきましたが、
そこでも今になって「Crazy Fruits」というタイトルで、
「狂った果実」が上映作品となっていました。
国境を超えて、時代を超えて、50年前の石原慎太郎さんの感性が
世界の人々に受け入れられていることに対し、驚きを禁じえません。
こうした背景もあることから、釜山国際会議やパーティでは、
「Crazy Fruits」の舞台となった日本の逗子市の市長をしている長島です、と
自己紹介していましたが、
これも国際的に通用する逗子の地域ブランディング手法ではないかと、
改めて認識しました。

10:21, Thursday, Jul 14, 2005 ¦ 固定リンク

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