ケン幸田の世事・雑学閑談(千思万考)
第壱百九話:
「平成を忘年し令和元年を記念する回顧と展望」 
「年用意・年取物・煤払い・煤掃き」
2019/12/30
 世界全体では、容易に予測不能の現実が惹起し、その影響下で如何なる国際秩序が
発生するのかが問われ、一方我が国では、平成から令和への世継ぎで慌しく過ぎた一年でしたが、
大きな地殻変動の正念場を、どう乗り越えれば、明るい未来が開けるのか、
特徴的な事象を回顧しつつ、愚考ながら一片の展望を試みてみたいと思います。

トランプ大統領の思考と米議会の思惑がようやく明瞭になって来たようです。
 
中国、殊に習政権が露呈して来た国力の失衰が鮮明化しつつあり、仕掛けたトランプ政権が
両議会と全米に一元化された情勢が、全世界の自由と民主主義国家群に
中国警戒論を拡大させ、ソ連に続く共産主義独裁70年寿命説の再現が囁かれ始めています。
 
続発する香港民主化対応問題、ウイグル人権抑圧情報漏洩などに対する
欧州や豪州の拒絶反応が強くなり、習政権の一枚看板「一帯一路」構造と
「AIIB」拡大策の挫折が垣間見えるようになり、経済失速に輪をかけて、
党内権力闘争にまで及び、愈々内憂外患に火が付いたようです。
 
安保がらみの制裁を受けたファーウェイが米国を訴えたところ、
ブーメランで「北京政府を訴えろ」との逆襲にあっています。
米国安保研究最大手のランド研究所のホーヌング氏は、
「日中和解は、戦略面での基本的相違が大きすぎ、上手く行かない。」と断じ、
その理由として、「尖閣諸島の対立に交渉がなく、和解の見通しがない、
中国の最大脅威は米国だが、日本の脅威は中国である、国際秩序に対し、
中国は打破を目指し、日本は保持を目指す」という三大対立点を挙げております。
我が国の対中外交陣と経済人たちの警戒心を喚起致します。
 
欧州の旺盛な活動力と影響力が激減し、EU,ユーロ、移民・難民対策、
NATOなどの諸問題に対する統率力を欠く混迷度が深まり、所得格差問題是正を含め、
各国でのポピュリズム右派政党が一斉に支持層を拡大し、
最早世界のリーダーシップたる自覚も実力も失墜してしまいました。
EU・ユーロの失速は、リーダー格・独仏の牽引力失墜と、競争敗者の
南欧・東欧の不満増大を来しており、中でもメルケルの失脚が混沌の源流と
なっているようです。
 
東西ドイツ統合後30年経ちますが、東へ2百兆円余も投入しながら、
まだ格差解消せず、賃金で17%差もあり、家計資産で4倍もの開きがあるそうです。
多文化か主導文化か、グローバル化かナショナリズムか、
ルサンチマンの声が高まり、リベラルとポピュリズムの対立の溝がどんどん深まり、
世論分裂が日増しに拡散しつつあるようです。
 
そんな欧州情勢の中、英国のEU離脱が略確定的となり、日本にとっては、
対英EPA~TPP提携と、伝統的国際通貨圏を($£¥が、新興の€や元に足を掬われぬように)死守し、
新日英同盟再興へのチャンスともなりそうです。
米英日連合による世界の機関車役に希望が見えて来ました。
 
米スタンフォード大のオースリン教授は、日本がリーダーシップを発揮して、
日豪印を結ぶ外側の三角形とインドネシア、マレーシア、フィリピン、
シンガポールを結ぶ内側の三角形を合わせた経済・軍事の紐帯による協力枠組みを提唱し、
基本的価値観を共有するアメリカと歩調を合わせることによって、
中露朝の暴走を閉じ込めることが出来ると指摘されております。
 
以上から観ても、今世紀中の世界覇権国は米国を置いて他になく、トランプの再選如何を問わず、
米国の総合力はダントツの存在感を維持しており、そのナショナリズム的エゴには是非もありはしますが、
引き続き世界をリードする実力だけは否定できません。
同じ自由民主主義先進国であり、移民寄せ集めで労働力を確保して来た“合衆国”仲間でありながら、
英独仏やカナダのように、受け入れた異民族の文化風習から言語まで許容してきた諸国にくらべ、
ことアメリカの特殊性は、市民権を与えるに際し、星条旗の下に英語(米語)で愛国心を宣誓させるという
国家社会統一の形成力に優れ、内政面こそ、左右対立はあっても、こと外交や国益論で、
国内分裂を回避できる政治の安定性に大きな違いを見て取れます。
この点を例えて、米国型を国民の“スープ”化と呼び、マルチ文化・マルチ言語型を“サラダボール”化と
言いますが、縄文以来の日本人も集落を形成した約6千年前から、言語・文化風習を共有してきましたから、
スープ型国家と言えそうです。今後の移民受け入れ政策の成否もここにありそうな気がします。
 
*長文となりますので短縮編集させていただきましたが、この後には
「模倣され続けた日本の知的財産権の保護が日本の国力回復に急務」との記述があります。

 
「年用意・年取物・煤払い・煤掃き」ケン幸田
新年を迎えるに当たって、歳末にする様々な準備を「年用意」「年取物」とか「年設け」と
言いますが、年木の用意、餅つとか、松飾りや注連飾りなど外回りの繕いと、
現代では生活様式の変化、簡素化などによって、ほとんど目にしなくなった
「煤払い」「煤掃き」や「畳替え」など、家の中の支度にも、昔の人々は、
せわしない師走を過ごしていました。

縄の玉転がってゐる年用意 高野素十
一袋猫もごまめの年用意 小林一茶
深山辺のこころの風を年取木 井原西鶴
須磨の浦の年取ものや柴一把 松尾芭蕉
 
煤(すす)というものが殆ど出ない現代の生活では、「煤払い」や「煤掃き」という言葉は
耳にすることもないし、ましてや正月を迎える支度と結びつけられる言葉でもありませんが、
戦後一気に電気やガスが全国的に普及するまでは、ほとんどの家では天井の煤払いをやっていました。
毎日の炊事には、薪や炭を使う竈もあれば、囲炉裏もありました。
照明用や仏壇用のロウソク、油からも煤が出るし、暖房用の火鉢や夏の虫除けに蚊遣りの中
で青葉や木片を燃やしていたので、ここからも煤が出ますので、江戸のお城や長屋であれ、
明治の地方の旧家であれ、一斉に煤払いをしたものでした。

尤も、煤払いばかりでなく、畳替えなども併せて、新年を迎えるに当たっての
“お清め”の儀式のようなもので、家中の大掃除や片付けをすることで、
穢れをはらう伝統的な神事とも言える年中行事だったようです。
江戸の定例とされた12月13日の煤払いが済むと、翌日から正月用品を買い求める
「歳の市」が始まるとされました。

ささ竹をふる宮人や煤払 西山宗因
煤掃きてしばしなじまぬ住居かな 森川許六
煤はきやなにを一つも捨てられず 各務支考
煤掃きや調度すくなき人は誰 与謝蕪村
畳替すみたる箪笥据わりけり 久保田万太郎
 
まず家の中を綺麗にしたら、後は外回りの迎春支度で、しめ縄を張ったり、
松を飾ったりする仕事が待っていました。
注連縄は、神聖な場所をかぎり、内と外の区別をつけ、不浄の侵入を防止する
“魔除け“の目的で飾ります。
一方、家の内外に生木を立てるのは、神が宿る神聖な場を表徴し、長寿を願う意味をも持たせるようです。
一般的には、松を用いるので「松飾り」「門松」と総称されますが、
榊、竹、シキミ(はなのき)なども、飾られたようです。

幾霜に心ばせをの松飾り 松尾芭蕉
門松の立ち初めしより夜の雨 小林一茶
人住みて門松立てぬ城の門 高浜虚子

 
 
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