閉園が近い、戸田康子女史のゲイマー・ワイナリー
サイト内検索はこちら↓  [an error occurred while processing this directive][an error occurred while processing this directive]
●A-Z検索●


[an error occurred while processing this directive]
[an error occurred while processing this directive]
乃木生薬研究所
研究開発部門のコラム

世界の食材に焦点を置いた
グルメガイド。
20041112ワインよもやま話 第9話
閉園が近い、戸田康子女史のゲイマー・ワイナリー
2004年11月12日(金)



ワイナリー、ゲイマーワインGueymard wine K.K



女性が創り、女性が支えたワイナリー、ゲイマーワイン(株)(Gueymard wine K.K)(神奈川県相模原市大野台4丁目1-11)が2004年12月末日で閉園されます。

相模原ゴルフクラブに隣接した16,000坪のゲイマーブドウ農園は、神奈川県唯一の本格的ワイナリーであり、緑の少なくなった同地域では、ゴルフクラブとともに広大な緑地帯を構成しています。
ワイン文化が根付かない日本にあって、ゲイマー・ワイナリーは第二次大戦後、50年余りにわたり、フランス・ワイン文化の紹介と普及に努力し、日本のワイン史に残るワイナリーでした。
オーナーのゲイマー夫妻が健在な60年代には、フランス大使などを招待する秋の収穫祭(ヴァンダンジュ)(Fete des vendanges)に、近在の住人の誰でも無料で招待するなど、行き届いた配慮をして、相模原のシンボリックな存在となっていました。








果樹園や、桑畑が広がっていた、この地域には、大戦前から食用のぶどう園があったようです。縁があって、28,000坪余りの土地を買収したのは、フランスで洋裁を学び、帰国していた戸田康子女史です。洋装技術を生かした仕事で成功していた女史も、戦後の混乱で洋裁どころでなかったことが動機だったのかもしれません。

フランス人の夫、マーセル・ゲイマー(Marcel Gueymard)氏の実家がプロヴァンスのワイナリーであったこと、実妹の嫁ぎ先が岡山の造り酒屋であったことが影響していたのでしょう。
康子女史は、当初から食用ブドウに関心がなく、留学していたフランスで親しんできたワイン造りに挑戦します。康子女史の計画に賛同した夫のマーセルは、プロヴァンスの実家からブドウの苗木を大量(約80種類以上)に輸入しました。大戦中に、実家のブドウ畑に臨時の飛行場が作られ、廃業に近い状態となっていたことで、苗木の調達は容易であったといわれています。


マーセル・ゲイマーさん/全商品
@ ワイナリーを支えた女性たち
1952年(昭和27年)にワイナリーは創業しました。経営者の戸田康子女史は当初から女性中心のワイン作りを考えていたようです。
現在のワイン造りの技術は40年以上も勤務した水澤澄江さんです。新潟で育ち、山ぶどうのジュースやワイン作りに関心のあった澄江さんは、フランス式のワイン造りをしているゲイマーさんのうわさを聞いて、訪ねてきました。ミイラ取りになった澄江さんは結局ここに居つき、70年代には免状を取ってワイン造りの中心となります。遅れて参加した(自称)光江さんとともに、施肥、防虫、除虫、除草、剪定、刈り取り、選別、醸造、ボトリング、ラベリング、酒税事務、接客など、全ての仕事を、農繁期以外は外注することなく、二人でこなしてきました。


国税庁醸造試験免許証と水澤澄江さん






光江さん



A 苦戦したワイナリー経営と撤退の原因
戦後になっても、永らく日本のワイン嗜好はぶどうジュースの延長線から脱することが出来ませんでしたから、本物のワインは一部の愛好家以外には需要がありません。未熟なマーケットに合わせた甘味の強いワインや、テーブルワインを造らざるを得ない時期が続きます。
樽もコストダウンを図るために中古の醸造ダルを集めましたから、琺瑯、ステンレス、プラスティック等と、ばらついています。それでもこの時期は、年間3-40,000リットルと小規模ながら、採算はとれていたようです。
1960年代になり、海外渡航が自由化して、1980年ごろには、本物のワインを愛好する層が育ってきましたが、ゲイマー・ワイナリーの多品種のブドウは、フランスより導入したときのまま、変わりません。すでにゲイマー夫妻は高齢となり、時代に合わせて、新たな資金を投入する意欲もかけていたようです。温暖化で気候が、ますます悪化するとともに、樹齢は50年に近づき、寿命を迎える時期になっていました。
水沢女史は打開策として、棚の作り方を換えたり、品種の改良を試みますが、先代夫婦も亡くなり、結局、新たなブランドを確立できるようなワインが育たないうちに、終焉を迎えることとなりました。
二人の女史の話を総合すると廃業の原因はいろいろあります。
  • 創業者夫婦の他界。専門分野の異なるカナダ在住の後継者(マーセル・ゲイマー氏の養子となった、兄第の子息ゲイマー・イヤベ氏が現在の経営者)。
  • 従業員の高齢化。後継者難。
  • 気候の温暖化、多湿化。ブドウ栽培にに最も重要。
  • 高級品志向に対応できないままに、樹齢が50年を超える。
  • 新世界よりの廉価品輸入の増大。
  • 害虫多発による農薬散布で、近隣との摩擦。
  • 廉価品での差別化を図り無添加ワイン製造に挑戦。限界を悟る。(二次発酵などで不良品続出)
  • 赤字の累積。投資の欠如。最近の販売量は年間10,000リットルほどであったようです。
水沢女史は、多くの原因の中でも、気候に相模原地域の限界を感じていました。




B ゲイマー・ワイナリーのワイン
ゲイマー・ワイナリーには赤、白、デザートワインの3種類のワインと、ブランデーが1種類あります。多数のブドウをブレンドしてありますから種類の表示も、ヴィンテージもありません。
ワインが1,200円/720ml 、ブランデーが2,500円 /720mlです。主力の赤ワインの名前は「金の樽」(Muidor)ですが、これはゲイマー氏の実家のワイン名に因んでいます。


C ゲイマー・康子(戸田康子)
岡山県出身。1990年ごろ、90歳で逝去。農業等を中心の旧家出身。
康子女史が渡航するときは、父親が所有するマツタケ山の一部売却して資金を作ったそうです。
岡山近辺の家系では、信濃松本より赴任した明石藩の松平(戸田)康直が著名ですが、康子女史と関係はないそうです。
昭和の初めの頃は、洋裁の先端技術をヨーロッパで学ぶことが、先進的な女性の憧れであったのでしょう。同じ頃、松井慶四郎外相令嬢の田中千代さんが渡航して洋裁を学び、帰国後、田中千代学園を開きました。


ゲイマーワインの産みの親でありいわゆるウーマンリブの精神を持っていたゲイマー康子夫人(肖像画)






関連記事

[an error occurred while processing this directive] [an error occurred while processing this directive]


Copyright(c)2000 - 2005 NOGI-BOTANICAL-Supplements. 無断転記・転用を禁じます。
[an error occurred while processing this directive]
当社サイトは お客様から送られる情報を保護するためにverisignを使用しています。乃木生薬研究所のSSLサーバは(株)NTTデータにより管理運営されています。



    | HOME | LINK | 会社概要 | サイトマップ | お問合せ |


モバイル支店

i-mode用サイトのURLをお客様の携帯電話にお送りします。
お持ちの携帯電話のメールアドレスを入力し、「このアドレスに送る」ボタンを押してください。
例)nogi@docomo.ne.jp

アクセス解析 & SEM/SEO講座 by CUBIT
南青山のサプリメントショップ:ノギボタニカル(乃木生薬研究所インターネット販売事業部) 東京都港区南青山1-26-4 
NOGI-BOTANICAL-Supplements 1-26-4 Minami-Aoyama Minato-ku Tokyo JAPAN
top shop news nurtirition / cart tel mail top