
1.日本を席巻した米国大衆文化
50年代の湘南ビーチに米国の大衆文化が持ち込まれたルートは数多くあります。
主役は占領米軍です。
湘南ばかりで無く日本のあらゆる産業に支配力を持ち、直接、間接的に絶大な影響力を与えていたといっても過言ではありません。
もう一つの主役であるキリスト教教会にも米軍(米国政府)救援物質の乗用車を始め、食料品、衣料、機械、器具などがあふれていました。
脇役はメディア(媒体)とスポーツです。米国大衆文化はハリウッド映画、音楽レコード、テレビ、ラジオ、雑誌、スポーツなどを通じても急速に日本の都市部に紹介されていました。
当然のことながら、あこがれるものが続出、進駐軍の兵隊と結婚する女性が後を絶たなかった頃です。
当時の日本はあらゆる物資が欠乏しており、戦勝で輝いていた50年代から60年代初期の米国の生活は、ごく庶民的なものでさえ、我々にカルチャーショックを与えるほど豊かなものでした。明治以来、舶来崇拝傾向の強かった国民性は、ライフスタイルの模倣に無抵抗です。特に米国文化に接する機会の多い在日外国人商人、商社、輸出品製造会社、運輸会社(航空、船舶)、ファッション業界、マスコミ、音楽、映画、スポーツ関係者は競うように米国西海岸風な大衆文化に染まっていきました。行政も同様です。大磯海岸は東洋のロングビーチ、片瀬西浜から鵠沼海岸にいたる浜辺は東洋のマイアミビーチと呼称されて、戦前からの海外通識者達が恥ずかしい思いをしたそうです。
2.居住者だけではない湘南文化の形成者
これらの職業を持つ人たちとその子弟は湘南に多数在住していました。
湘南に米国文化が根付く要因の一つともなりましたが、
東京、横浜、横須賀など湘南近隣都市の同種職業従事者数やその子弟数は当然それを上回ります。
この中には仕事や学校仲間、遊び仲間を通じて海のある湘南と交流を持ち、
居住者に勝るとも劣らぬ湘南文化を発信していた人が多数存在していました。
彼らは学校や仕事が休みになると大挙して湘南各地を訪れ、それぞれの友人宅に宿泊します。
夏休みがある学生は1ヶ月以上滞在するものも珍しくありません。
ビーチが寂れる冬には、湘南に縁がある岩原スキー場などに場所を移して一年中交流していたグループもありました。
関西は戦前よりの欧米文化が根付いている神戸を中心に、新しい米国大衆文化受け入れに拒絶反応はありません。
神戸から東京の大学に進学した若者たちにも湘南に米国の海浜文化を持ち込む者が少なくありませんでした。
3.湘南文化が存在した土壌
このように日本中に侵入した米国大衆文化のコピーが、おぼろげながらも、湘南ではなぜ湘南文化と呼ばれたのでしょうか。この検証には別項が必要ですが、一口に言えば受け皿が他の地域と大きく異なっていたことです。戦後の湘南は、歴史的、経済的、地理的、環境的、人材的に米国大衆文化が侵入しやすく、そのスピードと密度が濃かったということでしょう。日本のライフスタイルが均質な現況で、湘南文化とか、湘南スタイルとあえて呼称するのは不動産関連業者が中心ですが、50年代から60年代にかけては確かに特徴的な文化がありました。
4.東京、横浜から発信された湘南文化
終戦後(1945年)に進駐米軍関係者は子弟や学業途中の若者の教育施設の充実に努めます。
学業途中で徴兵された若者の補習をする大学は東京の上智大学に併設されました。当時は国際学部(インターナショナル・ディビジョン)と呼ばれ、18時から講義が始まる夜学でした。また大学までの教育には米軍基地外にもインターナショナル・スクールが開設されています。これらの学校は進駐軍関係者ばかりでなく、英語を話せる誰にも開放されていましたから、英語時代を予見した日本人の子弟で入学するものも少なくありませんでした。インターナショナル・スクールの外国人との交流は湘南の若者の衣食住や文化に大きな影響を与えました。
5.サンモール・インターナショナルスクールとセント・ジョゼフ・インターナショナルスクール
湘南の若者のライフスタイルに強い影響を与えたインターナショナル・スクールには麻布の西町スクール(ライシャワー夫人松方ハルの妹、種子らが1949年に創立)、瀬田のセント・メリー(フランス起源のキリスト教教育会the Brothers of Christian Instructionにより1954年に創立)、横浜山手のヨコハマ・インターナショナル・スクール(地域住民により1924年に創立。1955年再開)、セント・ジョゼフ・カレッジ(後述)、サンモール・インターナショナル・スクール(後述)が挙げられます。これらインターナショナル・スクール基準の学校の中では横浜のセント・ジョゼフ、サンモールの両校が最も湘南に影響力があったといえます。両校は軍籍の無い民間外国人の子弟が多いのが特徴的で、日本人と交流できるハーフやクォーターなどバイリンガルな生徒が数多く在籍していたからです。例えばエリック兄弟、岡田真澄、イリーン(入江美樹)(小沢征爾氏夫人)、マーガレット石井(スリーグレイセス)などがあげられます。
6.カルチャーショックを与えた米国式ダンスパーティーとバップ(ハマジル)
50年代湘南文化の主要部分を占める米国の音楽は、進駐軍を対象にしたラジオ放送のエフイーエヌ(Far East Network)、米軍基地のクラブ、保養所の演奏者たち、米軍が再建や新設を主導したインターナショナルスクールの生徒を通じて急速に拡がっていきました。
50年代から60年代初期の湘南のホテルや邸宅では途切れることが無くダンスパーティーが開かれましたが、湘南の若者に強烈なショックを与えたのがロックンロールでした。暴力教室という映画が輸入され、ビル・ヘイリーが歌うロック・アラウンド・ザ・クロックが日本を席巻していた頃です。湘南や横浜に居住するセントジョゼフ、サンモールの学生が踊るロックンロール亜流の「バップ」と呼ばれたダンスは瞬く間に湘南の若者に広まります。
横浜より湘南に広まったこのダンスとパーティーの形式は湘南文化最大のアイデンティティーともいえます。
近隣都市を含めた様々な地域から顔見知りが集まる日中のビーチに夕闇が訪れるころ、邸宅やホテルに集まってのダンスパーティーは独特の風景でした。
当時は早いテンポのダンスはジルバが一般的で、バップは横浜、湘南地域で特徴的だったために、「ハマジル」などとも呼ばれていました。横浜ではスポーツクラブのワイシーエーシー(YC&AC) (the Yokohama Country and Athletic Club) が開催するパーティーでハマジルことバップが踊られ、湘南からも多数が参加していました。
7.湘南のダンスパーティー
湘南と音楽に関しては別項に譲りますが、50年代から60年代初期に東京のサンケーホール厚生年金会館などで開催された大規模な学生のダンスパーティーと湘南で開催されるダンスパーティーの違いは規模とバンド演奏者でした。
東京のパーティーは大学の運動部や同好会の資金集めなどで開催されることが多く、大規模なために様々な人が集まります。バンドも編成規模の大きなバッキー白片(アロハハワイアンズ)、大橋節夫(ハニー・アイランダース)、鈴木章二(リズム・エース)などのプロバンドが常連でした。
一方湘南のダンスパーティーは特定の仲間達とそのゲストです。
七里ガ浜や江ノ島の海浜ホテル、逗子のなぎさホテル、鎌倉山ロッジなどのホテルは規模も小さく、限定された人数しか収容できません。10数軒を超える邸宅で随時開催されていたホームパーティーも7−80人が限界ですから、顔ぶれはいつも似たようなものです。
バンド演奏者もほとんどがアマチュアで、参加者の知り合いです。狭い場所でのパーティーですから編成も5人前後です。ジャンルは当時ハワイアン、カントリー、ポピュラー、モダンジャズと呼ばれていたものでした。
プロともなっていた井上崇(ハミングバーズ)、小坂一也(ワゴンマスターズ)、寺本圭一(カントリージェントルメン)、鳥山親雄、涌井達雄、池端直亮(加山雄三)、加瀬邦彦、平尾欽也(昌晃)、スリーグレイセスの長尾華子(白鳥)、石井政江(森本)、マーガレット石井(石井操)という人たちも湘南や横浜に在住する仲間であり、パーティーの参加者兼演奏者というスタンスでした。
8.サンモール・インターナショナルスクール(Saint Maur International School)
横浜の山手地区に1872年創立。日本で最も古いインターナショナル校。運営はサンモール修道会の幼きイエズス会(Sisters of the Infant Jesus)。設立当初からオーストリー系の人々の援助を受けて発展した。サンモールはカトリック系の学校としても歴史の古い女子専門校(現在は共学)で設立当時は横浜の租界に居住する15の国の子弟を受け入れていました。
大戦後は生徒数が急増し、国籍は30カ国前後に拡大した時代もありました。幼きイエズス会は1901年には日本人専門学校も設立。横浜紅蘭女学校と名付けられましたが、その後1958年に横浜雙葉学園と改名。現在の生徒数は約500名。
9.セント・ジョゼフ・インターナショナルスクール(St. Joseph International School)
横浜山手地区に1901年に創立。男子専門のインターナショナルスクール。
セント・ジョゼフ・インターナショナル・カレッジと呼ばれることもある。運営は暁星学園を創立したカトリック・マリア会。横浜を中心とする首都圏の外国人、帰国者などを対象に栄えたが、バブル以降の生徒数激減により2000年卒業者を最後に閉校。この頃に女子専門であったサンモールが共学となっています。
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