湘南の人口が急増し、独自の生活文化圏が消滅して40年近くになります。湘南地方と呼ばれる元ともなった生活文化とはどのようなものであったか検証してみました。
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現在の湘南学園。1950年代に購入された土地に立地しています。
1.終戦(1945年)により芽生えた湘南文化
敗戦により東京、大阪、神戸など主要都市は破壊されて、湘南の別荘族であったエスタブリッシュメントは東京などの本宅を戦災や税制改革で失い、別荘に定住するようになっていました。
戦後の別荘地域の主役は明治維新より数えて3代目、4代目の時代です。大戦後の復興が軌道に乗り始めたこの時代に湘南に定住した世代には、生活文化と価値観に共通の認識がありました。
別荘が多かった大磯、二宮、鵠沼(藤沢市)、片瀬(藤沢市)、鎌倉市、逗子市、三浦郡葉山町などの地域では、住み着いた先代の子息達が教会、学校、ホテル、マリンスポーツなどを通じて活発に交遊するようになります。
若者は明治以来の堅苦しいイギリス文化より、自由奔放なアメリカ文化に共鳴して、その模倣を始めました。英語に違和感のない4代目は外来文化に抵抗感がありません。戦勝を謳歌し、アメリカが最も元気であった50年代、60年代の文化です。一口に表現すれば、大衆的な米国西海岸、南部の文化、ハリウッド文化の模倣が湘南文化のベースです。
2.「豊かな心」「自由」の思想
憲法改正、財閥解体、軍隊、華族の廃止、税制改革などによるエスタブリッシュメント層の崩壊は彼らにとってそれほどの悲劇ではありません。いずれにせよ昭和10年代には崩壊の芽が萌えはじめていたからです。エスタブリッシュメントほど、情報に敏感であり、危機感を持っていましたから、失った地位や財産より、外圧によって新たに得た民主主義の出現と「自由」に大きな開放感と価値を見出していました。戦後湘南文化の根源にある「豊かな心」「自由」の思想の始まりです。
湘南文化が戦前の伝統と土壌を受け継ぎながらも独自性のある文化として芽生えたのは、湘南が別荘地で無くなった大戦後の1945年以降といえるでしょう。何故ならば、旧湘南文化と呼ばれることもある戦前のイギリス生活文化は明治以来東京、横浜、神戸など、広範囲に侵入しており、湘南独自のものではないからです。
3.湘南文化の中核的な発信地
域内に江ノ電、小田急の二つのローカル鉄道が敷設されて、地理的にも湘南の核となっていた藤沢市の片瀬、鵠沼地区には、教会、学校、ホテルなど、求心力の高い施設が設置されており、独自な文化が形成される土壌がありました。
片瀬、鵠沼、鎌倉地区の文化の発信源にはカトリック片瀬教会(後に藤沢教会を分割)、鎌倉大町カトリック教会、雪ノ下カトリック教会、湘南白百合学園、湘南学園、江ノ島海浜ホテル、鎌倉山ロッジなどの施設や、材木座、由比ガ浜、稲村ガ崎、七里ガ浜、片瀬東浜、西浜、鵠沼海岸などの海浜地域が挙げられています。また大戦後の鎌倉市各地には進駐軍専用の保養施設がいくつか建設されていました(湘南文化よもやま話第二話参照)。
この地域文化の発信源として特筆すべきは湘南学園と湘南白百合学園です。
別荘族の4代目を軸とする湘南学園、湘南白百合学園の通学者は、逗子から大磯、二宮までを圏内とする広域からでしたから、湘南の文化に与える影響力は非常に大きいものがありました。
1945年の世界大戦後しばらくは片瀬、鵠沼地区の人口は現在の10分の1くらいでした。まだまだ村的な存在ですから、平坦な中州の片瀬、鵠沼地区に住み着いた別荘住民、学園通学者、古くからの1次産業、2次産業従事者は、学校、教会、親密な商取引を通じて活発な交流を持ち、生活文化も平均化されていきました。
4.湘南学園とは
湘南学園と県立の湘南高校は全く異なる学校です。混同される県立湘南高校も、湘南の広い範囲から通学者を集めて湘南文化を発信していましたが、立地は東海道線を挟んで反対側の工業、商業地帯に近いところでした。同様に立地が横須賀市にかかわらず広く湘南から通学者を集めて湘南文化を発信した学校には、横須賀市田浦の栄光学園、三笠の清泉女学院などもあります。
1933年に創立された湘南学園は玉川学園の小原氏が初代園長であったために自由な雰囲気の学園として知られた小さな学校でした。
急成長したのは太平洋戦争後の1945年以降です。湘南地域の別荘居住者が定住するようになり、その子弟の受け皿として生徒数が飛躍的に増えたからです。
この急成長を内容的に支えたのが2代目園長の宮下正美氏です。宮下氏は慶応幼稚舎で教鞭をとられていたこともあり、独立自尊、責任ある自由など慶応義塾の思想を持ち込みます。学園の発展を支えたのは、その思想に共鳴した、戦前のエスタブリッシュメント層であり、戦後の湘南文化形成に慶応義塾の思想が密接に関与しているといわれる要因の一つともなりました。
宮下氏は兄弟を持つ人がその編入を希望すれば、ほとんどの入学を許可しました。3-4人の兄弟が同時に通学していた家族も珍しくありませんでしたが、この思想は父兄に支持され、発展の原動力となりました。
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5.湘南学園の発展
急膨張する生徒数を収容しきれなくなった湘南学園は、現在藤嶺学園鵠沼高等学校(鵠沼藤が谷4-9-10)となっている地区(B地区と呼んでいた)の廃屋まで借りて授業をしていました。本格的な施設を拡充しなければならなくなった時に活躍したのが、一部の父兄のグループでした。
現在地(トップの写真)への巨額の設備投資は、当時の理事長であった鵠沼赤別荘の田中元八郎氏(田中鉱業社長)抜きには考えられません。ケンブリッジ大学を卒業し戦前の旧湘南文化を継承する田中氏は宮下園長の思想に共鳴します。広大なグラウンド、現在、高校の新校舎が建築されている敷地などの買収は田中氏の貢献によるものです。
湘南学園の自由奔放な雰囲気は多くの芸術家や文化人を輩出しました。映画の世界では川津祐介、赤木圭一郎(旧姓、赤塚親雄)、音楽の世界では高橋悠治、平尾昌章氏(旧姓、平尾欽也.当時は片瀬、洲鼻在住)などが全国に知られていますが、他にも数多くの卒業生が芸術家、文化人の道を歩んで、国際的に活躍しています。経済学者(スタンフォード大学名誉教授)の青木昌彦氏は平尾昌章氏の同級生ですが、鋭い感性はアーティストに通ずるものがあります。
銀座菊水(たばこ)の社長であった内藤長一氏は卒業生を毎年ブラジルに送り込み、湘南学園の国際的な雰囲気を増幅するのに貢献しています。世界に拡がるIT産業の雄、ディスコの関屋憲一氏(当時は大磯在住)も平尾昌章氏の同級生ですが、世界に飛躍する国際人の土壌はこのころのものでしょう。
教師陣も充実していました。オリンピック水泳金メダリストの峯島久吉氏(旧姓豊田、体育教師)、安田 靫彦(やすだ ゆきひこ)画伯の長男(国語教師)、化粧品業界の草分けパピリオ化粧品(旧伊東胡蝶園)伊東社長の長男(英語教師)、管楽器で世界的に著名な広岡淑生氏(楽器教師)など、広い分野からの知識人が集められていました。
6.湘南文化とキリスト教
湘南学園からは思想的に近い慶応義塾に毎年相当数の卒業生が進学しましたが、片瀬、鎌倉、逗子、大磯などで熱心な布教を続けるカトリックやプロテスタントの教会思想に共鳴し、立教、青山、暁星、上智、聖心、双葉、清泉などキリスト教教育を行なう学校にも多くの子弟が進学していきました。
湘南では教会を核とする欧米型の住民交流が活発でしたから、ごく自然な成り行きでした。
湘南文化が戦前のイギリス文化をベースとして、戦後のアメリカ文化で独自化した歴史からみれば、 この文化が欧米文化の根源にあるキリスト教と無縁であるはずはありません。キリスト教は金銭に執着のない、「貧しきものは幸いなり」に代表されるような、金権主義の対極にある「清貧」の文化です。エスタブリッシュメント層は崩壊したとはいえ、豊かな家庭の子弟が多かった住民にキリスト教思想は共鳴を呼びました。
7.湘南文化は湘南山の手文化?
現在の人々がイメージする湘南の風俗と生活の文化、そしてこのよもやま話でとりあげている湘南生活文化は湘南山の手文化と指摘する人がいます。エスタブリッシュメントを起源とするブルジョワジー文化ともいえますから、ある面では事実かもしれません。
それでは過去の湘南の何処かに、他の地域と異なる下町文化があったのでしょうか。
大正から昭和の初期に鵠沼海岸の東屋(割烹旅館)が中心となり、在来の一次産業従事者が湘南下町文化ともいえる特徴的な生活文化圏を海岸地域に築いていたという説があります。東屋は鵠沼海岸沿いの広い池を中心に広大な土地を占め、大給家(おぎゅう)が持つ現在の鵠沼藤ヶ谷から鵠沼松が岡の広い範囲の別荘地分譲に関与していました。鵠沼の広範囲な地域に影響力があったことから推測すれば、特別な生活文化があったのかも知れません。
旧来の藤沢市街地や農村地帯とは異なる、また現在イメージされている湘南文化とも異なる、独自な生活文化が1900年代の初期にあったと言う説ですが、定かではありません。
鵠沼が大給近孝(おぎゅう)子爵や、その手伝いをした東屋の伊藤将行氏などにより開発された大正時代から昭和初期は別荘も数少なく、特徴ある別荘族や住民の生活文化を見出すことは困難です。これは先進の葉山、鎌倉や大磯も同様です。
別荘には東京など本宅の生活が持ち込まれ、文人が集う場所やサナトリウムもこの地だけのものではありませんでした。
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