王壮快のマーケッティング・コラム

湘南文化よもやま話--第一話--
新江ノ島水族館とサムエル・コッキング(サミュエル・コッキング)苑(江ノ島植物園)







大水槽(上段)真鯵の群泳(中段)タコクラゲクラゲ(下段)は伝統を受け継ぎ、目玉の展示となっている







江ノ島水族館の新装が完成し、新江ノ島水族館として16日(2004年4月)に開業しました。
戦後まもなく開業し、戦後湘南文化の象徴の一つでもあった水族館が絶えることなく、大発展といえる規模に成長したことは、地元にとっても大きな喜びでしょう。

秋谷海岸沖に群生する三浦半島のサンゴ

1.湘南文化とは

湘南地方とは何処を指すのかという議論があります。
定義しようともその地域は飛び地になり結論は出せません。
湘南とは地域を指す言葉と言うより、独特の生活文化を指しているからです。
その文化があったところが湘南なのです。

湘南文化とは、外来文化といえます。
第二次世界大戦前はイギリス、戦後はカジュアルな米国西海岸の文化が持ち込まれました。

大正時代、昭和の初期は日本の政治経済が、明治維新功労者達の子弟によって指導されていました。
彼らとそのブレーン達は海外に雄飛し、欧米文化を日本に紹介する役割を果たしていましたが、大磯、鵠沼、鎌倉などの別荘を拠点に、この外来文化が湘南に持ち込まれた訳です。

戦後は横須賀、座間、厚木などの駐留軍人が、質の異なる米国文化を湘南海岸に持ち込みましたが、世代は戦前からの文化人、知識人の子弟たちに移っていました。

彼らが成長期にあった50年代、60年に、独特の戦後湘南文化が築かれました。
戦前のイギリス文化の良さを継承しながらも、自由を満喫できるアメリカ西海岸文化が受け入れられたわけです。

大戦から50年以上を過ぎた現在、湘南の別荘住宅地は切り刻まれ、文化を支えていた多くの人たちも消え去りました。

世界的な文化均質化の波も湘南を例外とはせず、世代交代が再度進むと共に、湘南独特の生活文化は消滅したといえます。






展望台より観た、江ノ島ヨットハーバー(湘南港)。江ノ島神社(中津宮)(下段)

2.江ノ島水族館と江ノ島植物園の創業

自然科学への知識欲と好奇心が旺盛なのは湘南人の特徴です。 その湘南人が戦後湘南の知的な外来文化の象徴として大事にしていたのが、1950年(昭和24年)に開場した藤沢市営江ノ島植物園と1954年(昭和29)に開館した江ノ島水族館でした。

3.サムエル・コッキング(サミュエル・コッキング)苑と改称された江ノ島植物園

江ノ島植物園は明治時代中頃(1882年)に作られた、貿易商コッキングの別荘跡地です。一帯には氏が持ち込んだ珍しい亜熱帯植物が豊富に自生していました。旅行することが難儀であった戦後の貧しい時代に、未知な亜熱帯地域を探究させてくれる施設としての存在感がありました。時が経て、展望灯台の老朽化とともに、植物園は荒れるに任せるといった状態でした。展望灯台は世界大戦中にパラシュート降下練習に使用されていた飛び降り台を移築したものだったそうです。

昨年2003年4月29日に小田急電鉄が主体となって「サムエル・コッキング(サミュエル・コッキング)苑」は新展望灯台とともに新装開場しました。新しい公園は、デザイン的にも美しく、綺麗に整備され、展望台としての機能も充分満足すべきものです。島の入り口から、頂上の公園までのエスカレーター(350円)も改装され、老人などにもアクセスが容易です。公園入場料200円は他施設に較べれば大変安く、展望台入場料込みでも500円です。
残念ながら、現在の公園は多種の椿類とコッキングの温室跡が目玉になっているくらいで、植物の学術研究的な解説や展示はほとんどなく、ただの美しい公園となってしまいました。僅かに、巨大なシマナンヨウスギ、クックアロウカリア(ナンヨウスギの一種)、カナリー椰子(やし)、リュウゼツランなどが庭園植物園の歴史を感じさせてくれます。





(写真上段)登頂エスカレーター
(写真中段)展望灯台
(写真下段)旧植物園時代からのリュウゼツランの仲間

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(写真上段)イベントごとに植え替えられるプランター
(写真下段左)シマナンヨウスギ、クックアロウカリア(ナンヨウスギの一種)
(写真下段右)カナリー椰子(やし)


4.江ノ島水族館の歴史(旧江ノ島水族館)

一方、江ノ島水族館は歴史的にも、鑑賞というより、研究にウェイトをおいていました。当時の水産学の権威、東大水産学科の雨宮育作名誉教授(あめみや いくさく、1889〜1984)(江ノ島水族館初代館長)は海外事情に詳しく、乏しい水産研究の費用を観光地での水族館併設によりまかなうことを考えていました。これが、この地に新しい社会貢献事業を考えていた日活(旧日本活動映画)の堀久作社長(1900〜1974)のコンセプトと合致したといわれます。日活は戦後湘南文化を支えた芸能人たちの中でも、石原裕次郎、赤木圭一郎、笹森礼子等、湘南を愛した人たちが最も多かった映画会社でした。
この水族館は日活丸という水産物採集船を保有して、新しい水産情報を収集していましたが、情報が少なかった戦後時代には、近隣の湘南人の知的探究心を満足させるオアシスでもあり、葉山の御用邸に来られる昭和天皇など皇族方の愛用された水族館でもありました。




新江ノ島水族館には昭和天皇、秋篠宮殿下のご研究コーナーが特別に設けられている。
近年の水族館は悲しくなる状態でした。朽ちた施設。アジアの海鮮料理屋の水槽群のほうが、まだましではないかと思うような、汚れた小さな水槽。子供の学芸祭のようなショーや展示解説。デザイン不在の水槽や舞台のディスプレイ、クリスマス・デコレーションなどなど、

江ノ島水族館の愛好者にとっては、消え行く湘南文化の象徴のような、情けなさだったでしょう。わずかな救いは、学術的な好奇心を満たすべく、数十センチの真だこが、一センチ位の非常に小さな穴をくぐれるという実芸をやって見せるショーがあったことです。

戦後湘南文化の数少ない継承者である水族館事業は、1974年に久作社長が亡くなる頃には、子息の堀雅彦氏夫人、由紀子氏に引き継がれていました。以後の長い苦闘の時期を経て、オリックス(株)、神奈川県を主体(PFI方式)にして、拡大発展することとなったのは、湘南の戦後史とともに生きてきた人々にとっては新たな喜びでしょう。

新館長には久作氏の孫にあたる由紀子氏の子息、堀一久氏が就任しました。伝統であった新しい水産資源情報の発信地が再興されることを期待したいものです。



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